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毎日投稿がぽろっと終わってしまったので、感じたことなどを。

おひさしぶりでございます、かとうです。

2022 年 1 月 1 日からしれっと始めた毎日 note が、2022 年 2 月 23 日でしれっと終わりました。54 日間かな。読んでくださった方々、ありがとうございました。

正直に言って 500 字日記に切り替える前後くらいから毎日は無理だなーというのが実感としてあって、嫌になりきってしまう前に、決意めいたものとともに「毎日 note やめます!」と宣言するようなことを考えていたのですが、結果、ぽろっと取りこぼすように投稿を忘れる、という形で毎日投稿は終了しました。いやはや。

投稿が終わった 2 月 24 日は仕事終わりにパートナーと一緒に過ごしていました。本当は会う前に note 書けばよかったんですが、バタバタしていたら忘れていて、その後もちょくちょく思い出しつつも後で書こう、と先延ばしにし続けて、ふたりで過ごす時間をのんびり楽しんでいたわけです。

ふと見た時計の日付がいつの間にか変わっていることに気づいたとき、最初に浮かんだのは安堵に近い感覚でした。悩ましいですなあ。

どうやら文章を書くということの楽しさは、ぼくにとって筋トレやランニングの楽しさに近しかった様子。小さな成長や小さな発見を重ね、自らに少しずつ何かが積み重なっていく感覚を得ながらも、文章を書くという行為自体からは、小さくない負荷を感じ続けていました。

気ままに、肩肘張らずに、と文字の上では何度も書いていたし、言葉で遊ぶことのプリミティブな楽しさに浸ろうと、浸っているのだとも書いていたけれど、どうも力が入ってしまうところがありました。

ひとつは「毎日」という枷、もうひとつは「スキ」という指標。

「毎日」は言わずもがな。いやね、疲れるよ。まず単純に、時間を抑えるのが大変です。仕事して、運動して、家事して、パートナーや友人と過ごす時間を作って、その上毎日 2 時間、文章に費やす時間を確保するのは本当に大変。大変だからこそ継続に意味があるのだとは思うけれど、サステイナブルではない。

さらに毎日書くことを考えるのもやっぱり大変です。いろんなインプットを常に重ねて刺激に満ち満ちている人間なら書けるかもしれないし、もしかしたら通勤があった頃であれば、それだけでも書ける内容が違ったかもしれないとも思います。

今、ぼくの過ごす日常はつくばの 1 LDK の家にほとんど完全に閉じています。コンビニとスーパー、朝の散歩を除けば、基本家で椅子に座り、パソコンにカタカタと向き合う日々。内省する以外に、書くことないのよ。腰痛えとか腱鞘炎辛えとかはあるけども。別に文章にしたいとは思わんし。

たまに外に出たとしても「この状況下でどこどこに行きました!なんて note を書いて良いものなのだろうか...」などと身構えてしまって、どうにも文章として表に出すことができませんでした。気にしすぎかもしれませんが、後ろめたさを持ちながら書く文章はうまくまとまらないことが多いので、諦めてしまいました。

後半は言葉遊びと日記に振り切って、それはそれで良いことにしよう、と考えてみたのですが、ここで登場するのが「スキ」というやつ。

「スキ」がたくさんつけば嬉しいし、「スキ」が全然つかなければ、もやりと陰る気持ちがやっぱり生まれます。

毎日文章を書いていて、しかも 500 字でまとめるなんてことをやっていると、どうしても「スキ」がつきにくいんですよね。これは構造上の問題というより、あくまでもぼくのやり方の問題です。つらつら書いていると、込められる熱量と情報量が少なくなってしまいがちだし、そういう note が読まれにくいのはまあそうですよねと。

それでもいいやと思って書いていたつもりではあったのですが、目に見える数字として並ぶ「スキ」を眺め続けていると自分のために文章を書いている気持ちって段々と萎えてくるもんなのですね。この辺は、ぼく自身が承認欲求だったり、人に作品を見られたい、という思いだったりが強いからこそ生まれる感覚なのかもしれませんが。

3 つついた「スキ」には 3 人の人間がいてくれて、それはとても感謝すべきことであるとわかってはいるものの、しかしてホーム画面に並ぶ note の中、 3 つの「スキ」が輝く自分の note の隣に 6,000 「スキ」とかいう煌々と照らされた note が置かれているのを見ると、なんだか情けない気持ちになってしまうこともあるのです。

創作を続ける、ということの苦しみといえばそれまでなのかもしれません。自分のために書くなら「スキ」は気にしない、「スキ」を気にするなら人に読まれる文章を書く、というのはまさにその通りではある。ただ伸び伸びと創作を続ける上で足枷になることもやっぱりあるよなあ、ということを、いち個人として創作活動を続ける中で改めて感じたのでした。


ま、なんやかんや考えることはありましたが、総じて毎日 note を書く体験自体は良かったなあと思います。

自分が携わっているサービスを改めて使ってみる、という体験は大切だなと、この毎日 note の期間を経て強く思いましたね。色々気づきもあったので、これから改善していこう。

また同時に、クリエイターとしての自分、というものの存在に目を向ける期間にもなりました。人様に見てもらうアウトプットを出す、ということの楽しさを久しぶりに感じることができて、筋トレ的大変さはありつつもやっぱりどこかしらで創作は続けていきたいなと。ぼく、自分の文章割と好きなのよ。


毎日 note は一旦終わりにしますが、塾の話とか音楽の話とか、中途半端に書いたり話題だけ出して書ききってなかったりする note がいくつかあるので、そういうもの含め、note に文章を書くということは引き続きやっていきます。

今後はぽろぽろと、思いついた時に上がるスタイルに戻りますが、気楽に、たまに読めたらラッキーくらいの気持ちで見ていただければ。

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