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今、生きていく自信を持てているのはなぜか

さて今日は、なぜぼくは生きていけているのか、という話でもしようかと思う。

ラフなテンションで突然何を、という感じだろうから説明をしておこう。以前書いた「生きていく自信がなかったから、ぼくは IT エンジニアになった。」という note の最後、ぼくは「今自分は生きていく自信を持つことができている」ことを伝えて結んだ。

その理由に、自分なりに生きていく場所を見つけることができたから、という美しめな話をあげているのだけれど、それだけではちょっと足りないなと思ったのだ。気持ちの落ち着けどころ、精神的な居場所の話とは別に、もっと現実的な話もあった。

ぼくは飯を食っていけるのか、という問題である。
具体的かつ非常に大事な問題だ。


大学生の当時、ぼくは自分がお金を稼げる人間かどうか、ひどく心配していた。バイトもインターンもやっていたし、そこでお金は得ていたけれど、さすがに大学生がバイトで稼ぐお金なんて微々たるもので、人ひとりが生きていくのに十分な金額ではない。

それに Twitter ランドで意識高い人々の発信をぐんぐんと吸収し続けていた当時のぼくは「自分ひとりの力で金を稼げるようにならんと生きていくことができないのではないか」という妄想に強く取り憑かれていた。典型的、意識高い系大学生である。

個の時代が来る! このままではぼくは生きていくことができない! どうしよう!
割と本気で、そんなことを思っていた。

だから大学 3 年の 2 月頭、内定をいただいた時点で就職活動をやめて、そこから 1 年 2 ヶ月ほど残った学生生活を「自分はお金を稼ぐことができるのか」という実験に使っていた。

最初は意識高い系学生にありがちな「ブログで稼ぐ」という発想で、ブログコミュニティに入りブロガーを目指した。なんか考えてることありきたりすぎて、改めて書くと恥ずかしいな、これ。でも当時は結構本気で「何か身につけないとやばい」と考えていたから、焦り半分で動き回っていた。

初めて入ったブロガーコミュニティはなかなか刺激的なことも多かったけれど、そう長く経たないうちにその場所がめちゃくちゃ競争率の高い場所であることや、ブロガーコミュニティという構造の歪さみたいなものが見えてきて、その場に居続けることができそうもないことを悟り始めた。

身近だと思っていた先輩たちが影で「あいつ何してんの」的なことを酒飲みながら話していたということを聞いて、萎えてしまうみたいな事件もあった。攻撃的な記事も多かったし、今思えばそういう話題のあげ方をされても仕方なかったと思うけれど、批判を直接言ってくれる関係性ではなかったのだなあというところにやたらと傷ついて、ひどく落ち込んだことを覚えている。

そんなこんなで大した努力もできていないうちに「あ、この方向は自分は無理だ」という気持ちにいたり、ブロガーを目指すことは諦めた。


次に始めたのが、趣味のプログラミングを使った Web サイトの受託開発だった。
まずはそもそもお金を稼げるのか、というところを見極めたくて、大学内で部活やサークルのサイトを改修したいという人を探して、身近な人からお金をもらって開発をしてみた。友達 & 初心者価格で抑えた金額を出し、WordPress を使ったテーマ開発をして納品する。

こちらはやっていて楽しかったし、何よりきちんとお金を稼ぐことができた。初めて報酬をいただいたとき、通帳に記帳された金額を見て誇らしさと安心を覚えたことをよく覚えている。

2, 3 案件こなして勘所が掴めてきた頃、大学の先輩がやっていた街おこしの事業の一環で、地域の商店の Web サイト作成案件を斡旋してくれるというので、いくつかの商店のサイト構築をやった。ぼくはデザインが書けなかったので、その方面に強い友人にいくらかの報酬を渡して作ってもらい、コーディングをした。

そんなこんなである程度コーディングができるようになってきたので、長期で入っていたインターンの方でも少しチャレンジをしてみようと思い、今までの時間報酬から月額報酬への転向をお願いしてみた。実際、コーディングについて勉強している時間や実装について考えている時間を含めたら提示した報酬額でも安いくらいだったので、提案はそのまま受け入れてもらうことができ、ぼくは学生にして、毎月それなりの額をいただくことができるようになった。

この辺りになると、さすがに「あれ、意外とお金って稼げるんだな」という気持ちにもなってくる。まあ我流で学んだ学生の書くコードに、払っていただいたお金はほとんど情報の非対称性からくるボーナスみたいなもんだったとは思うけれど、その非対称性を生んだのは確かに日々学んだ自分自身であったし、結果質素な暮らしならできるくらいの金額になったのはやっぱり生きていく上での自信になった。


そんなわけで「自分の力でお金を稼ぐ」という体験をもとに生きていく自信を少しずつ身につけたぼくだったわけだけれど、実はこの過程でもうひとつ、重要な学びを得ていた。

それは「社会は人間で成り立っている」ということ。

いや、当たり前だろうとか、ありきたりかよとか、言わんでくれ。
学生のときの自分は、社会とは何か大きなシステムによって出来上がっていることを想像してしまっていた。その中で、強い人間はシステムを最大限利用し、弱い人間はシステムに隷属している、そんなイメージを持っていたのだ。

だからお金を稼ぐということを、ひいては生きていく、ということさえも、いかにそのシステムの中に自分を埋め込むか、あるいはシステムを利用するか、そういう勝負だと思ってしまっていた。

けれど実際、ぼくにお金を渡してくれたのは身近な友人であったり、インターン先の社長であったり、地域商店の店主さんだったりした。行われたのはただの労働と金銭の交換ではなく、相手を信頼して仕事を預け、またそれに応えて成果物を返すという、とても人間的な営みだった。

ずっと自分の力で稼ぐ、ということを、何か特殊技能のように考えていた。けれどどうやらそれは違くて、ただ人と人の関係の中に、たまたま金銭を介したほうがやり取りしやすいことがあって、だからお金というものを利用している。それだけの話であるらしいと、気づいたのである。

こうして、ぼくの「生きていけるだろうか」という不安は少しずつ薄れていった。

人間として信頼でき、また信頼してもらえる関係を築いていくことが、生きていく自信を産むということを学ぶことができた。

もし今ぼくが職を失ったとしても、土下座して頼めば雇ってくれるだろう人が何人か思い浮かぶ。もちろんただの片思いである可能性は全然あるし、両思いだったとしても、その人たちの信頼を裏切らないように日々研鑽を積む自分であることは必要だ。

ただそういう人が思い浮かぶという事実が、今、ぼくの生きる自信になっている。

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