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断捨離の先に見えたもの

社内の人事異動のために引越しをした。
元々おれは技術職で、文献や海外の部品片やガラクタや工具や不良在庫などなど、20年以上も三次元的に積み上げて保管してある物たちは凄い量。

現在の部署は社内随一の開発部門。そこの上司に迎えられる時にはこう宣言された。

「越してくる時までに物は極力無くしてください。紙文化も廃止。うちの部署ではデスクは占有しないで、いつでも誰でも使えるように共有スペースにする事。ゴミ箱も一人一個は要らない。机上に余計な物を置かない事で、自由な発想が生まれるのです。」

いやいや、ちょ待てよ。
そんな綺麗事では成り立たない。今捨てたら二度と手に入らない愛すべき物たち。
紙も売るほどある。二度と手に入らない貴重な資料たち。

よくよく考えたのだが、ある程度旧職の引き継ぎを終えた時点で資料も最低限は電子化し、全部捨てた。
整理するのに1週間くらい掛かった。
ガラクタたちも迷いながら選別し、途中から慣れるとガンガン捨てられた。多分愛着があって残したものたちもあるが、今ならもっと捨てられると思う。


今月からはまっさらな机で仕事をしているが、気づいた事がある。

確かに、仕事に没頭出来る。
見た目も良い。
汚さないから片付けも楽。

だが、めっちゃ不便。
ハサミ一つ無いので、隣の部署に借りに行ったりする。(買えよって言われる)

余計な荷物が無いので柵(しがらみ)が無く、仕事が終わったらすぐ帰れる。
あんなに荷物を捨てたのに、不思議と仕事上で支障は出ていない。
つまり、物に囲まれて豊かだと思っていた生活はほぼ幻想だったのだ。殆どが要らない物。年一回も使わないなら要らない物。
物が少ない世界に来て初めて知るのは、ちょっとした空間的な余裕と精神的な余裕。ウィルパワーの温存。
なかなか悪くない。

今回は仕事関係だったのでわりとバッサリ行けたが、プライベートだともうちょい思い入れが大きいから苦戦するかもな。

その時々で正しいと思った事をしよう。
方針が変わったら、物なんてまた買えばいい。
保管している事も資産という意味では出費なのだ。自分に自信が無いから、資産という名の衣を纏っていたのかもしれない。結局は物に頼ったアイデンティティなど不要なのだ。
今はそう思うことにする。