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ブックレビュー「アメリカン・ベースボール革命 データテクノロジーが野球の常識を変える」

久しぶりに読んでいてワクワクする本だった。これほど野球界の既成概念を科学が席捲していたことを私は全く認識していなかった。

原題は”The MVP Machine: How Baseball's New Nonconformists Are Using Data to Build Better Players ”とあり、直訳すると「MVP製造マシーン。いかにベースボール界の従来の規範にこだわらなかった人達がデータを使ってより良い選手を育てたか」となる。

邦題にはそのニュアンスが見られないこの”Nonconformist”という人の存在、Cambridge Dictionaryで言うと”someone who lives and thinks in a way that is different from other people”(他の人とは違った方法で生きたり、考えたりした人)が実はこの本の主役である。

野球はデータ主義の今ではもちこたえられない色々な信念に縛られている。例えばバッティングの世界では、ボールを呼び込んでから打つとか、ダウンスイングが挙げられるし、ピッチングの世界では次のような信念が繰り返し教えられてきた。

・右投手はできるだけプレートの三塁側から投げて幻惑しなくてはならない。
・投手は身体のバランスを保ったまま投球しなくてはならない。
・チェンジアップは速球よりも少なくとも16キロ遅く無くてはならない。
・投球は下向きに投げ下ろさなくてはならない。

「こうした一見よさそうに見えるものが、ほかの何よりも投手のキャリアを駄目にしてきたんだ」とBoston RedsoxでAssisstant Coachを務め、Athleteでかつ統計データを分析できるBrian Bannisterは言う。

こういった信念が一部の”Nonconformist”によるデータ利用で打ち砕かれていった。その際たる例がいわゆる「フライボール革命」(ゴロ打ちを避け、打球に角度をつけて打ち上げることを推奨する打撃理論)だ。

Michael Lewisが著書”Moneyball”を書いたのが2003年。Brad Pittが演じた映画を観た人もいると思うが、既に20年が経過し、”Moneyball”時代は終わり、今やどの球団もOakland Atheleticsよりも選手評価をデータ分析することに長けている。

スカウティングやドラフトで逸材を見出したり、ライバルチームに埋もれた選手をトレードしたりするよりも、育成面(コーチング)で凌ぐこと、将来性の予測に一生懸命になるよりも個々の選手の強みを磨くこと、一度はお払い箱入りしたベテラン選手の寿命を大きく伸ばすことこそが競争優位になっているという。そしてそこには常に既存の概念に挑戦する”Nonconformist”がいるという訳だ。

本書の最初に先の”Nonconformist"の一例としてTrevor Bauerが挙げられており、本書を通じて彼の特異な行動や言動が象徴として登場する。

Bauerは2011年にMLBのドラフト一巡目(全体三位)でArizona Diamondbacksの指名を受けるが、捕手のリードを批判し、コーチの指導に従わなかったことからオフにはトレード候補に挙がり、2012年にCleveland Indiansに移籍。しかしここからのBauerの成長が凄い。

このBauerは「ピッチ・デザインの第一人者」、「MLBで最も科学的な選手の一人」と言われている。彼が大学時代からやっている独特のルーティン運動がこのYouTubeで垣間見ることができる。

BauerはそれまでMLBでは野球をやったことが無い傲慢な部外者のオタクとされていたDrivelineのKyle Boddyと知り合い、同じく部外者だが科学者だった父親のWarrenと一緒に使い始めたEdgertronic Cameraを最大限活用することで切れの良いスライダーなど新しい球種の開発に着手して来た。

本書でBauerは大変「閾値」が低いと表現されている。すなわち「自分で正しいと思うことをするのに支援や承認あるいは他の人々の参加を必要としない」。そして父親のWarrenはBauerは成長マインドセット、それも普通の成長マインドセットでは無く「高い目標を達成するのに求められる熱狂的な強迫観念」を持っているのだという。

Malcom Gladwellが著書”Outlier”で紹介した1万時間の法則、すなわちある分野のエキスパートになるには1万時間の練習・努力・勉強が必要だという法則は有名だが、Malcomは1万時間の質にまでは言及していなかった。1万時間の法則を元々主張した心理学教授のEriksonによると「強度があり、集中した取り組みを意味する意図的な練習の蓄積」がより大切だという。

特にBauerのようなAthleteには選手寿命があり、肉体的なピークは30歳前後だ。短い寿命の中で効率的に新しい変化球のようなスキルを獲得するには、学習曲線を縮めることが大切で、そのためには「フィードバック・ループを多くする」必要があり、すぐにその場でボールの回転が確認できるEdgertronic Cameraは大変有用だと言う。

そしてBauerはその努力に加えてこれまで大きなケガも無く、その独自の練習の努力がうまくはまった好例だ。本書では2018年にCy Young賞に最も近いキャリア最高のシーズンを送ったことが記されているが、その年のハイライトがこちらだ。

残念ながら2018年はシーズン中盤に打球を受け骨折、Cy Young賞の夢はかなわなかった。2019年にはCincinnati Redsに移籍、同年は振るわなかったが、2020年にはついに念願のCy Young賞を受賞している。

翌2021年シーズンのハイライトはこちら。ちなみにBauerはCy Young賞受賞三回を目標にしているが、年齢的にはこれからより難しい挑戦になっていく。

31歳になったBauerの2022年3月8日時点の練習風景がこちらにある。Athleteとしてのピーク年齢に達したBauerだが、まだまだその成長マインドセットは衰えない。

ここではBauerの”Nonconformist”としての成功例を挙げたが、本書ではそれ以外にも「35歳になるまで自分の才能をもてあます選手」や「ついにかいかさせられずに終わる選手」を出さないことを目指しているBoston RedsoxのAssistant CoachであるBrian Vannister、そして一時は低迷を極めたHouston Astorosがビジネスコンサルティング出身のGMJeff Luhnowの下いかにデータ主義を大胆に取り入れて球団を立て直していったのか、またMLBの変化が米国のアマチュア球界にまで浸透している様子も紹介されている。

また日本での変化として、楽天イーグルスでの例や日本版のDrivelineとしてネクストベースが挙げられている。まだ日本のマスコミでは十分取り上げられていないと思うが、その内これらの成功例を頻繁に見ることになるのかもしれない。

本書を読んで個人的な感想を二つ挙げたい。

まず一つ目はビジネス界での人材育成がいかにこういったMLBでの科学的進歩に比べて遅れているかということ。Googleが”Work Rules”で挙げたその採用におけるデータ活用がまるでMLBにおける”Moneyball”を連想させる。MLBがそうだったように採用における革命は次第に競争優位とはならなくなる。果たしてMLBのように成長過程にある若手の人材育成や引退近くのベテランの延命にビジネス界が成功するのはいつになるのだろうか。

もう一点は私自身が成長に苦労しているスキーの上達。Winter Sportsは競技人口が少ないこともあるが、まだまだ基礎スキー界でこういった科学的データが育成に活用されているという話は聞いたことが無い。唯一WearableなDeviceとして”Carv”があるが、このDeviceを使いこなして学習曲線を短縮した事例を私はまだ知らない。基礎スキー界では相変わらず個人の感覚を色々な語彙で表現するのが精一杯な気がする。

刻々と変化する外部環境や自らの肉体状態をすぐに確認し、どう修正すれば良いかを即座にフィードバックが得られれば、どれだけ早く上達できることだろうか。私がまだスキーを楽しめる内にBauerが言う”Feedback Loop”を頻繁に自ら受けることができる時代は来るのだろうか。

もしかすると、意外とそれはすぐやって来るのかもしれない。




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