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ブックレビュー「定本 黒部の山賊 アルプスの怪」

先週の土曜日にも再放送されていたNHK BS1 スペシャル「“黒部の山賊”北アルプス秘境の山小屋に生きる」

その番組でも紹介されていたのが、三俣山荘と雲ノ平山荘を引き継いだ兄弟の父親である伊藤正一さんが書いたこの本だ。山に詳しい大学時代の先輩からも本書を推薦されたので読んでみることにした。

「山賊」というEye Catchingなタイトルの種明かしはここでは触れないが、もともと山好きで科学好きだった伊藤さんが戦後間もない頃に三俣山荘を手に入れ、人跡未踏の黒部源流にはまっていったところから本書は始まる。

それまでも山では終戦後のドサクサで学生が殺される事件があり、またその後も「山賊」に関する噂が絶えず、長野・岐阜・富山三県の営林署、警察署が山賊対策に尻込みする中、伊藤さんは「山賊」たちと直接対面し、さらに一緒に奇妙な生活を送り始める。熊狩り、ゲテモノ食い、岩魚釣りの名人等多様な「山賊」と暮らしながら、次第に良好な関係を持つようになる。

「山賊」以外にも山には大金鉱を掘り出すことに人生を賭ける山師や佐々成政の軍資金が隠されているという噂など面白い話がたくさんある。山で聞く不思議な叫び声、雨ざらしの白骨、カッパ伝説、狸の化け話など「もののけ」たちが起こす奇妙な事象がたくさんあり、山に詳しく経験豊富な「山賊」達は半分大ぼら、半分真実と思われるような話をしてくれる。

厳しい黒部源流周辺なので、当然遭難者も多い。極限状態で不可解な行動をとる登山者や、仲間を平然と見捨てるような登山者もいて、それらの逸話と先の奇妙な現象が入り乱れる。「山賊」たちはその経験と技能を最大限発揮して遭難者の救出に尽力する。

伊藤さんが心血を注いで切り拓いた黒部峡谷だが、ヘリコプター事業者の撤退、登山道整備など登山文化を継続していくのに解決していくべき問題は山積みだ。

先のNHKでは伊藤兄弟は父の遺志を継いで、父が私財を投じて三年もの歳月をかけて切り拓きながら、昭和44年の大洪水でいまは一般登山道としては使われなくなった伊藤新道の再建にとりかかる姿が放映されていた。吊り橋は65年前と同じ手法であり、資材は今でもすべて人力で運ぶ。

同じように第一次登山ブームの1960年代に大賑わいだったがその後ウソのように廃れて今は一番入山しない入山口となった大町からの周遊コースを創り出そうとしている。伊藤兄弟はそれらの取り組みは都会にいる官僚が始めるのではなく、登山に実際に関わっている人達が自分たちで直接やりはじめるべきものだと言う。

登山に興味がある人にとってもそれほどでも無い人にとっても、本書ならびに先のNHKの番組は、山の文化が山に関わった人達がそれぞれの想いを抱いて長い年月をかけて少しずつ築かれていくものであることを理解するのには持ってこいだと思う。


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