見出し画像

ブックレビュー「バート・バカラック自伝-ザ・ルック・オブ・ラヴ」

本書は今年の2月に亡くなったBurt Bacharachの自伝だが、共著形式になっていて共著者は元Rolling Stone誌の編集者だったRobert Greenfield。

自伝にも関わらず、共著者の配慮だろうか、本人談と共に関係者自身の談話も取り入れられている点が面白い。本人と敵対する人のコメントや本人が記憶していないだろうエピソードが拾えるという点で公平だし効果的だ。

例えば1963年11月にLondonで行われたRoyal Command Performanceという当時英国で1年を代表するビッグショウでBurtはMarlene Dietrichのバックとしてトリを取った。

余談になるが、このショウは、The Beatlesが出演し、最後の”Twist and Shout”の前に、John Lennonが「安い席のみなさんは、手拍子をしてもらえますか?あとのかたがたは、宝石をジャラジャラさせてください」と言ったことで有名だ(次のYouTubeの9:20からその様子を見ることができる)。

Elvis CostelloがBurtが記憶していないだろうこの時のエピソードについてこう語っている。

ここで見逃しちゃいけないのは、BurtもMarlene Dietrichといっしょに出ていたことだ。それに、Joe Ross Orchesteraも。ぼくの父親のRos McManusがうたっていたバンドだ。それから何十年もたって、ようやくBurtと初対面を果たしたとき、ぼくは彼に「親父はあなたと63年に共演しているんですよ」と言った。

「バート・バカラック自伝-ザ・ルック・オブ・ラブ」株式会社シンコーミュージック
エンターテインメント

それにしても本書を読んでみるとBurt Bacharach自身の輝かしい音楽遍歴と共に、女性遍歴が満載で少々飽き飽きしてしまうが、実際モテモテだったんだろうから私が僻んでも仕方が無い。Marlene Dietrichが相当公私ともにBurtに頼っていたことは今回初めて知った。

ここでは本書の中からBurt本人が好きな曲や面白いエピソードがある曲をピックアップしてみたい。

1. (Don't Go) Please Stay

1961年に書いたこの曲のオリジナルはDriftersだが、このAaron NevilleのVersionが素晴らしい。「私を構成する42アルバム」にも入れた名アルバム”Warm Your Heart”収録。

2. I Just Don't Know What to Do with Myself

Flamingosが歌ったオリジナルは売れなかったが、Dustin Springfieldのカバーが二年後に大ヒット。Burt本人はElvis CostelloのこのVersionも好きで、1999年にBurtとElvisが二人でTourに出た時もElvisがこの曲を披露してくれた、と言っている。

3. Wives and Lovers

オリジナルはJack Jonesで、多くのカバーバージョンがあるが、私はこのNancy WilsonのVersionが好きだ。
本書にはFrank SinatraがCount Basieと録音したQuincy Jonesのバージョンについてオリジナルの4分の3拍子を無視して4分の4拍子になっていることをQuincyに問い詰めたところ、「Count BasieのBandが4分の3拍子が弾けなかったからだ」、とQuincyが答えたというエピソードがある。

4. Twenty Four Hours from Tulsa

この曲はBurtもHal DavidもStory性があって、まるでミニチュア版の映画のようだ、として大変気に入っている模様。

5. Anyone Who Had a Heart

The BeatlesのManagerだったBrian EpsteinがDionne Warwickのこの曲のレコードをNew Yorkで買って帰り、George Martinに聴かせ、その結果Cilla BlackがAbbey Road Studioでレコーディングしたのがこのバージョン。先に歌ったDionneはほぼ同時期にCillaのVersionが出たことで大層なお冠だったらしい。

6. Walk on By

Dionne Warwickのバージョンももちろん素晴らしいが、本書でBurtがこのIsaac Hayesによる12分にもおよぶバージョンを「驚異的なバージョン」と言っている。

7. A House is Not a Home

同名映画の主題歌を依頼されOriginalもDionneのバージョンも売れなかったが、Burt本人はこの曲を気に入っており、「この曲を真の意味でのスタンダードにしてくれたのはLuther Vandrosだ」と言っている。

8. [There’s]Always Something There To Remind Me

Sandy ShawのVersionが有名で全英No.1に輝いているが、Burtはこの「Lou Johnsonの才能に大きな感銘を受け、最高のレコードをつくれたと自負していた」と言っている。私は80年代にNaked EyesのCoverでこの曲を知った。

9. Trains And Boats And Planes

”The Hitmaker”というInstrumentalアルバムに、元々Gene Pitneyに作ったが決してHitしていなかったこの曲を入れたもので、Singleが英国でチャート4位にまで達した。今回たまたま見つけたのがこのFountains of Wayneのバージョンで、彼らがこの曲を愛していたことがわかる。

10. My Little Red Book

Manfred Manでも録音したが、映画”What's New, Pussycat”のOSTのVersionはこのPaul Jonesによるもの。後にAuthur Lee & LoveがCoverしているが、Burtによると「まちがったコードを弾いている彼らのヴァージョンがスキになれなかった」らしい。

11. Alfie

Cilla BlackとのレコーディングはGeorge MartinがProduceを引き受け、Abbey Road Studioで行われた。BurtがArrangementを行い、SessionでもPianoを弾く。非常に難しい曲でテイク数は28か29にまで及び後にCillaは「ぶっ殺してやりたかったけど、彼ってとにかく素敵だったの」とコメントしたらしい。

12. The Look of Love

元々”Casino Royale”のScoreを依頼されたBurtが初代Bond GirlだったUrsula AndressにInspireされて彼女のテーマを書き上げたのがこの曲。最初はInstrumentalだったが、Hal Davidが歌詞をつけてくれたのでDusty SpringfieldでRecordingすることになった。私はこのVersionが何しろ好きだ。

13. I Say A Little Prayer

Burt/HalがDionne Warwickに書いた曲で最大のヒットがこの曲。Burtはテンポを速くし過ぎたとして全力でシングル化を阻止しようとしたらしいが、その判断は間違っていたと認めている。

14. Do you Know the Way to San Jose

この頃DionneとのRecordingをA&M Studioで行う際には必ずPhil Ramoneの母親が来ていたらしい。この曲をRecordingする際にその母親が来なかったので「彼女がいないとセッションを始めない」とBurtが言い始め、Philが急遽母親に連絡して、母親がほどなくStudioに顔を出し、録音したのがこの曲で、Top 10入り、DionneはGrammy Awardを受賞した。

15. This Guy’s in Love with You

Herb Alpertが妻のSharonに捧げる曲を歌いたいと考え、「引き出しかどこかにしまいこんでいる曲、でなきゃうまく行かなかったのに風呂場で口笛を吹いてしまう曲はないか?」とBurtに訊いたところ、送ってきたのが”This Girl’s in Love with You"で、その性別を変えてもらいRecordingした。結果、Burt/Halの史上初のNo.1ヒットとなった。1996年のRoyal Festival Hallではこの曲をNoel Gallagherが歌い、Standing Ovationを受けた。Noelによると「史上最高のLove Song」だという。

16. Promises Promises

Burtがこれほどキツい仕事は無かったという同名ブロードウエイミュージカルからの一曲で、同ミュージカルの中でも一番の難曲。毎晩歌わなければいけなかったJerry Orbachは「あの曲のおかげで、毎晩、死にそうな思いをさせれらてる。なんであんなに難しい曲にしたんだ?」とBurtを問い詰めたらしい。

17. I'll Never Fall in Love Again

”Promises Promises”開幕後に体調を崩したBurtが、Halが完成させていた歌詞の上に人生最速のスピードで書き上げたのがこの曲。Burtの入院生活に触発されて”What do you do when you kiss a girl!/You get enough germs to catch pneumonia/And after you do, she'll never phone you"というくだりが含まれている。

18. Raindops Keep Fallin’ on My Head

映画”Butch Cassidy and the Sundance Kid"の一曲。全く雨が降っているシーンでは無いが、BurtはこのSceneを見てこのMelodyとTitleを思い付き、Halが後から詞を付けた。Burtは本曲でアカデミー賞の最優秀オリジナル楽曲部門と最優秀スコア部門でオスカーを獲得した。過去二度オスカーを逃したBurtは喜びの余りAngieへの感謝の辞をも忘れてしまった、とAngieが語っている。

19. South American Getaway

同じ映画でPaul Newman, Robert Redford, Katherine Rossの三人がBoliviaに向かう場面用の曲。VocalはSwingle Singers。音質は最悪だがこういう場面だったということがわかる。

20. Close to You

1964年にOriginalがReleaseされ、その後Dionneもカバーしたが、やはりThe CarpentersのCoverが素晴らしい。最初のVersionはKarenがDrumsを担当していたが、Wrecking Crewが起用され、Hal BrainがDrumsに座った。RichardはBurtから「最初のブリッジの終わりに5音のピアノが2回出てくるだろう?そこだけは変えないでくれ」と言われ、StudioでSlowなShuffleを思いつき、Vibraphoneを追加した。

21. Arthur’s Theme (Best That You Can Do)

映画”Lost Horizon”の失敗を発端にHal David, Dionne Warwickと訴訟合戦となり彼らと喧嘩別れしたBurtだが、その後は泣かず飛ばずで、PrivateでもAngieとほとんど離婚状態。そのBurtがCarol Bayer Sagerと公私ともに仲睦まじくなったころに依頼された映画のTheme曲。本曲でBurtとCarolは最優秀オリジナル・ソング部門でオスカーを受賞し、二人は事前の約束通り結婚した。

22. That's What Friends Are For

ようやくDionneとのコンビ復活に成功したBurtが1982年にRod Stewartで録音した曲をDionneに聞かせたところ彼女が気に入った。女性VocalにGladys Knightを入れ、男性VocalはStevie WonderとLuther VandrossでRecordingしたが、Lutherが上手くかみ合わず結局Elton Johnが代役を務めた。

23. God Give Me Strength

音楽と私生活を共にCarolと過ごすことに息苦しさを感じ、またAngieとの子どもNikkiとの折り合いも悪かったBurtはAspenでSki InsturctorをしていたJaneと知り合い四度目の結婚。Carolとの離婚がこじれて再び音楽活動が停滞していたBurtだったが、Elvis Costelloとの共作の話が飛び込む。まだ電子メールが無かった時代、電話とFaxで共作したのがこの曲。

24. I Still Have That Other Girl

初めての共同作業後、こんどはBurtはElvisとアルバム制作に入る。結果、2年以上かかることになった。Burtは過去にNeil Diamond以外とは共作したことが無く、共作はElvisが想像した以上に大変な作業だったようで、「そのうちにぼくはメロディの形状について、まるっきり交渉の余地がない側面があることを知った」と言っている。しかしElvisの苦労は報われ、二人は”I Still Have That Other Girl”でグラミーの最優秀ポップヴォーカルパフォーマンス賞を獲得した。

25 What the World Needs Now

Burtの大ファンだったMike Myersが直接映画への出演を依頼した。Mikeによると、彼の父親はLiverpool出身で、英国北部とBurt Bacharachには不思議なつながりがある、という。「官能的な音楽を書く官能的な男だし、LiverpoolじゃSexyで笑えること、そして世間に対して一家言持ち、歌がうたえ、ジョークがうまく、話し上手なことがなによりも肝心」でBurtはそれにまさに当てはまるらしい。映画は予想外に大ヒットし、全国の7歳児がBurtに”Austin Powers”見たよ、と声を掛けるようになったそうな。

26. Nikki

Angieとの間に出来たNikkiとの関係に長年悩んでいたBurtだが、Nikkiは34歳にして初めてAspergerとの診断を受ける。10年間入っていた精神障害センターでも一切Aspergerだとは言われなかった、という。そして最後にNikkiは自殺してしまう。BurtにはNikkiから恨みつらみが書き記された書置きが残されていた。

27. Here I am

2010年頃から背中に問題を抱え、それが悪化し手術・長期の入院を迫られるが、その後の回復で手術以前程度にまで復活したBurtがIseley BrothersのRonald Iseleyと制作した曲。本曲を含むAlbumは残念ながらRelease前にDreamworksがUniversalに吸収合併されほとんどPromotionを受けられなかった。しかしBurtはこの出来に相当満足している。

28. Where Did It Go?

Dr. Dreが作ってくれた6-7種類のDrum Loopを使って作曲したのがアルバム”At This Time”で、当時の米国と世界情勢の悪化に対する怒りと不満を募らせた様子が本曲にも反映されている。本アルバムは2006年にグラミーで最優秀ポップ・インストルメンタル・アルバム賞を獲得した。

Apple MusicでPlaylistを作成したのでそちらでもどうぞ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?