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ブックレビュー「天の夜曲 流転の海第四部」

宮本輝による自伝的長編小説で全9部の第4部は、松坂熊吾ら一家が営む大阪の中華料理店での食中毒を契機に、新たな事業を目論見、家族で富山へ移り住むという意外な展開から始まる。

第三部までのブックレビューで著者が本シリーズで「登場人物をその人の出自や生き様、人としての器の大きさ、そして品格という軸」や「多様性を持った登場人物たちを通じて人間の業と確執、その人情の機微の描写を通じてStreet哲学」を語っていると指摘してきたが、今回は富山への転居以降思惑通りに進まない事業や住居の選択、パートナー選びの失敗を通じてさらにStreet哲学を熊吾に語らせる。

資金作りのために、名刀関の孫六兼元を売る際に、熊吾は最も頭を下げたくない海老原太一に買ってもらうことを決意する。

独立し事業に成功しつつあった海老原太一を人前で辱めることで自尊心を傷つけた。野沢政夫を自分の子の前で恥をかかせた。釈迦が堤婆達多を人前で恥をかかせたことを釈迦の叱り方が間違っていたと思っていたにも関わらず、自分はまさに𠮟り方を間違っていたことに気づく。

「自分の人生に、目指すべき大きな目的を持っていない人間の自尊心を傷つけてはならないのだ。」

釈迦が堤婆達多の自尊心をあえて傷つけたのは、仏教を流布し、衆生を導き、救済するという大目的に向かうために、堤婆達多という人間を鍛えなければならなかったからであり、大目的の無い人間の自尊心を傷つける必要などなく、ただ逆恨みを買うだけだ、と結論づける。

「自分の自尊心よりも大切なものを持って生きにゃあいけん...」

海老原太一に侮辱を受けることは自分の自尊心を傷つけることになるが、自尊心よりも大切なものを持つためには敢えてその侮辱を甘受しなければならないという悟りだ。

海老原家は近在の者たちから疎まれつづけ、子供のころから異常なまでの他人への憎悪という性癖を持っていた。その憎悪は子供たちに伝わり、さらに増幅されてまたその子たちに伝わった、奥深い「血そのもの」として受け継がれたのだ、という。

もう一つ熊吾が語るのは「運」についてだ。

「戦後、自分と仕事上で昵懇となった人間は、どれも能力や運に欠陥がある。だがそれはすべてこの自分という人間が招き寄せたものだ。」

和田茂十は死に、千代麿は重い病気にかかり、森井博美は突然の災難に遭う。熊吾は彼らに「運の良さとか、世間一般の幸福といったものとは相容れない星のもとにあるようだ」と言い、「そこに深くかかわった自分こそが、悪しき星廻りのなかにいつのまにか引きずり込まれてしまったからだということではないのか...」と弱気になっていく。それまで運が悪ければ、ブルドーザーでなぎ倒すようにして突き進んできた熊吾がその運命を嘆くようになる。

このように彼が色々な経験から得た教訓を、自分なりのStreet哲学として、思春期に入ろうとする息子の伸仁に伝えていく。親から子へ伝えることは表面的な作法や話し方だけではなく、人生哲学そのものであり、それは幾代にもわたった血であることを著者は訴えている。

次から次への現れる新しい登場人物がそのメッセージの仲介役であり、読者にとっての楽しみでもある。

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