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ខ្ញុំ មិនមែន ម៉ាក់ ទេ[私はお母さんじゃない]

クメール語のタイトルだなんて
読む気にならなかったらごめんなさい

『クニョム ムンメーン マエ テー』

と読みます。

『わたしはお母さんじゃありません』

という意味です。

記念すべき100記事目にこれを投稿するのは悩みました。

でも100記事なんてただの通過点。

そう考えることにしました。

さて、タイトルですが、わたしはお母さんじゃありません。

どういうこっちゃ。

簡単ににいうと、『わたしは彼らのお母さんにはなれない』ということをお伝えしたいのです。

最近の悩みからお話しします。

遊びが大事?勉強が大事?

住み込みスタッフについてです。

住み込みスタッフは、学校を中退した子供達を対象に、CBBに一緒に住み込み、安心して勉強ができる環境のもと、復学をすることを目標にしています。

また、トレーニング的な要素もあり、生活の中で勉強をし、日本語を勉強し、将来的には日本人インターン生のサポート的な存在になれるよう、という目標もあります。

そんな彼ら。

ここに来て4ヶ月目に入ろうとしています。

最初は、授業の間はひとつも教室に顔を出さず、CBBに来る生徒を避けていたように見えてました。

ですが、最近では、近所に住むCBBの生徒ととても仲が良く、よくみんなでサッカーをしています。

復学に向けて、同世代の近所の子供達との関わりを持つことはとても大事なことです。

友達がいないより、いるほうがいい。

一緒に勉強する人がいるほうがいい。

そんな存在がたくさんいることは、わたしにとってもインターン生にとっても、とても嬉しいことです。

ですが、少なからず問題点もあります。

それは『遊びに夢中になり、約束を守れない時がある』ということです。

もともと勉強時間が14:00からと決まっていますが、その時間になっても帰ってこず、15分オーバーで帰ってくることもあります。

たかが15分。

また、「タイクロチュマーを買ってくる!」
と出て行ったまま帰ってこないことがあり、話を聞くと、「CBBの生徒を迎えに行ってた!」とのことで、わいわいとしながら戻ってくることも。

うーん、何かちがうような。。。

と思いながらも

カンボジアなんだから、大目に見たら?

と思う自分がいる。

勉強は大事。

そのためにここにきているし、そのためにお金もいただいているのだから。

ただ、生徒と遊ぶためにここに来ているのなら
それはおかしい話だとは思う。

だけども、遊ぶことも大事。

本来ならば、CBBがなかったら、こうして放課後にわいわいと遊んでいる姿が村の子供達の普通なのだから。

それを、わたしがジャイアンのお母さんみたいに『たけしーーーー!あんた勉強やったのかい?!!」といいながら、引きずり返すのは、それも何か違う話だ。

だけども、ひとつだけ言えるのは

自分たちで決めたことは自分たちで守る。

それだけ。

勉強の時間、遊びの時間。

自分たちで何時から何時までやる。

遊びは、何時に帰ってくる。

それを守れたら、なにも言わないでおこう。

だが、遊びと勉強の割合が逆転したら、それはそれで少し痛いことをいうかもしれない。

まぁカンボジアの子供達の遊びはハードだから少し心配にはなる。

最近は、よく服や顔にススをつけられて帰ってきたり、誰々に殴られた蹴られた、と遊びの延長で女の子から暴力振るわれたりと、少しやんちゃぶりが心配にはなる。

どうか、怪我することのないよう、仲良く遊んでほしいものです。

遊びも、勉強も、全力で。

だけども、CBBに来てる生徒にも、住み込みスタッフの存在意義をちゃんと知ってもらう必要があるな、と薄々感じつつあります。

子育てしてるのかわたしは

ここにいて、住み込みスタッフと生活していて思うのが

あれ、わたし子育てしてるのか?

ということ。

いや、産んではないけれど、未成年の男の子3人と生活しているとそう感じてしまう。

先程のことみたいに、遊びから帰ってこない生徒を心配したり、時には厳しく叱ったり。

でもこの叱る、ってのが自分にとっては大変なことのひとつでもある。

自分の家庭環境や過去を振り返ってみても、良い叱られ方をされた記憶がない。

悪いことをしたのは幼い頃のわたしだけど、何かと痛い思いをした記憶しかない。

怒号、叩かれる、つねられる、突き飛ばされる、追い出される、裸足のまま外に出される、成績表ビリビリにされる、落書きしたノートを燃やされる、掃除していなかったら、部屋のタンスや机のものを全部出され、全部片付くまで寝られない、半ばきした靴のかかとを切られる………

当時のことを思い出しながら吐き気がするのだが、思い出せばそんな家庭だった。

今だったら、虐待として扱われそうだが、まあそうやって育ってきた。

だから、ちゃんとした叱り方が分からないのだ。

もちろん、彼らには手を一切出さない。

カンボジアの親世代や先生を見ていると、何か悪いことをしたら、叩いたりするのは普通らしい。

カンボジア人スタッフも、一時期は木の棒を持って授業をし、間違えたり宿題をやっていない生徒の掌をビシビシしているのをよく見ていた。

理不尽に手を出すのは暴力と同じ。
痛い目を見たからこそ、その手は使いたくない。

だったら言葉で伝えてみる。

と、いいたいところだけども、こんなぺーぺーのクメール語なんて、言ったところで

お決まりの『クニョム ムンヨル』って言われて悲しいまま終わりそう。

もう分かんない。

という、自分の中の問題点もあります。

本題に戻しましょう。

子育てをしているようだ。ということ。

もちろん、彼らとの生活は悪いことばかりではない。

むしろ、一緒にいると喜びや楽しみが毎日のように溢れ出てくるのだ。

小さなことでも、楽しいし、嬉しい。

最近、日課になっていることがある。

先月末から学校に復学した住み込みスタッフ達。

カンボジアの学校は朝が早い。

7時から学校がはじまるため、スクールを6時過ぎに出る。

それを見送るのが、最近の自分の楽しみだ。

ビシッとした制服姿。整えた髪。

自転車に乗って、『いってきまーーす!』と
出ていく姿を見るのがとても楽しみ。

今日も頑張れ!応援してるよ。気をつけてね。

と精一杯の『いってらっしゃい!』に込めて。

インターン生の人数が多い時は、彼らとの関わりはどこか遠慮していた自分がいた。

住み込みスタッフチームがいたから。

わたしは授業チームだったから。

どうせわたしはみんなみたいに上手く関われないから。

短期の人たちに優先しよう。

と。

でも今は違う。

話す機会も、一緒にいる時間も、たくさん増えた。

彼らのことをもっと知れて、彼らとの会話の中で彼らの良いところをもっと知れて、彼らもたまには本音や悩みを話すこともあって。

今の距離感が、自分的にはベスト。

わたしは、他の人みたいにお母さん的存在にはなれない。

お姉さん的存在にもきっとなれない。

あや、はあやでそれ以外でもなんでもない。

彼らにとって、わたしはマエでも、ボーンスレイでもなく

『あや』として

記憶の片隅に置いてもらえたら、わたしはとても嬉しい。

あとがき

さて、帰国まであと2ヶ月が経とうとしてます。

今日エアアジアのアプリでチケットを取ろうとしたら、支払いのページをいったりきたりして、なんだから詐欺られてる気がしました。

ポイントだけめちゃくちゃ減りました。

怖いので明日改めて取ろうと思います。

1/11にわたしは帰ります。

あと少しだけ、がんばります。

また、今月から新しいスタッフがくる予感。

クメイクメイすぎてわたしびっくりしました。

これからどんな毎日になるのやら。

インターン生一同、がんばります。



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