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諦めきれない

社会人になり、仕事をはじめて、早1ヶ月半が経とうとしている。

アルバイト時代から数えると、もう何百回も出勤しているので、慣れた、という言葉は似合わないかもしれない。

ただ、社会人としての役割はなんとなく分かってきているつもりだ。

職場の上司にあたる人が、キャリア10年以上というのに

仕事もロクにできず、突っ立ってばかりで

にんじんのみじん切りのやり方ををスマホで調べて

融通がきかなくて

人との距離感が掴めない人なのだ。

おまけにボンボンという。

その人を見ていると、ふと思うのだ。

置かれた環境に甘んじて、成長をしない人にはなりたくない、と。

常に成長していこうとする人。

向上心のある人。

ひとつのことに向かってまっすぐ進んでいく人。

専門性を持って、それを高めていく人。

そんな人に、自分は憧れるらしい。

今、そんな環境の中で働いていて

自分はこれでいいのか、と自問自答を繰り返している。

慣れてしまえば、自分も同じ状態になるかもしれない。

ここで、自分は果たしてどう成長していくのか。

どう専門性を高めていくのか。

思えば、仕事をはじめる時に、そんなことひとつも考えなかったな。

ただ、食いつないでいくための手段として、という理由もあった。

まぁ、理由はそれだけじゃないけど。

この先、自分はここで働いてどうなりたいのか。

実際のところ、カンボジアでインターンをしていた時に見ていたような先の景色が全く見えないのだ。

思い描いた先にいる、キラキラした自分は

ここにはいない気がする。

今の自分は、なんなんだろう。

今の時期を、なんと呼んだらいいのだろう。

どんなにやりがいのある仕事についたって

どんなにいいアパートに住んだって

どんなにいいものを食べたって

どんなにいい生活をしたって

やっぱり満たされない。

満たされない。

全く、満たされてないのよ。

そりゃ、美味しいご飯もお菓子も

温かいお風呂も、かわいい服も

もらえる給料も満足よ。

嬉しいものよ。

なんだろう。物足りない。

自分はこんなにも欲しがりなのか。

いや、それ以上のものを私は置いて帰ったのかもしれない。

使命感。

責任感。

やってやるぞ、って感情。

ここ最近の、ひどいカンボジアロスを

満たそうとして

パイナップルを市場のおばちゃん風に切って

鶏肉と炒めたり

マンゴーを買って食べたり

チリソースをご飯にかけて食べたり

クメール語のオンライン講座に参加したり

クメール語の歌を聴いてノートに書いたり

いろんなことをしたけども

残るのは、やっぱりさみしい、という感情。

ねぇ、わたしはいつまで自粛したらいいのかしら。

仕事もある

アパートも契約してる

家具もある

車もある

飛び出すためのお金はない。

いろんなことがある中

どうしたらいいのかわからない。

25歳。26歳。

一年後とか、二年後なんて、先延ばしにしたくない。

そんなんじゃ、きっと住み込みスタッフ達も離れて行っちゃう。

もう、誰一人いなくなってほしくない。

次、学校が再開した時に

彼らを迎えるのは、わたしがいい。

おかえり、って言いたい。

一度失われた流れを、もう一度作りたい。

彼らを卒業まで見届けたい。

夢と現実は違う。

それは痛いほど分かる。

だけども、こんな時こそ

夢を見て、希望を持ちたい。

モチベーションを上げ続けたい。

諦めきれないことがあります。

時が来たら、そう言い残して

ここを去ろう。

その時を私は待っている。



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