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茅原実里10周年年表の振り返り【2003~2009年まで】

音楽熱想というラジオ番組の第117回放送で話題に出たみのりんの10周年年表に関することをまとめていきます。
※切り詰めたつもりですがあまりにも雑多になったので前後編になりました。本記事は前編です。

2004年から歌手活動をスタートしたみのりんこと茅原実里さんの10周年(2014年~)の時に行われたプロモーションが沢山あります。

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10周年企画はそれこそ上記以外の他にも沢山ありますが、ここでは10周年年表について振り返っていきます。
とはいえ、私も記憶が曖昧な部分があるかもなので一応調べたりしていますが、不備があったらすみません。サマチャン2021DAY2のContact13th直後のみのりんのような素晴らしい土下座はできませんがすみません。
また、画像は基本的に自分の手元にあるものをアップしています。


特典冊子の10周年年表について

特典の冊子ということですが、そもそも何の特典だったのかというところからです。
この10周年期間中かつ9月中に発売された物になると思います。9月はベストアルバム「SANCTUARY~Minori Chihara Best Album~」、ミュージッククリップ集「Crystal Box~Minori Chihara Music Clip Collection~」の発売がありました。11月には写真集「LOVE LETTER」が発売されていますが、時期的なことと年表は音楽活動に関する記載なので対象外ですね。
恐らくは「Crystal Box」の特典だと思われますが・・・。本記事のトップ画像で左側が10周年年表、右側がフォトケースでベストアルバムの特典でした。となると10周年年表はやはり「Crystal Box」の特典かな?。
(音楽熱想のコメントに何でも情報を提供しますと言ったのに全てを把握・網羅できていないのはすみません)

■表紙

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まず表紙のみのりんが非常に美しい。美の極みのりんです。この宣材がメインだったので他にも見かけることができました。

バックアップ 174

この画像の茅原実里10周年記念ミュージアムについては別途記事をまとめたいと思います。ちなみに開催内容は
・衣装の展示
・茅原実里ヒストリーの展示
・Music CLIPのパネル展示
・茅原実里関連CD、DVD、Blu-rayの販売
・Lマート限定流通商品の特別販売 等

です。ヒストリーは年表と同じ内容でした。

■2003~2006年

そして年表は2003年からスタートしました。2003年、2004年、2005年の項目の少なさも感慨深いです。勿論、日々の活動はあったと思いますし、それこそ2003年や2003年以前にもみのりんの夢に向かう足跡は数えきれないと思います。

私の大好きな「La la la☆」です。私は路上ライブ時代を知りません。しかしみのりんを知って純白サンクチュアリィのCDを聴いてから彼女のことをもっと知ろうと思い、歌手活動を再開してこれからの活動と併せて過去の作品や活動を追いかけるようになりました。その過程で音楽活動への並々ならぬ想いを知りました。そしてこのブログ、この楽曲の歌詞と出会い、本当にみのりんの言葉には力があって願いが込められているなと実感しました。
私がみのりんを尊敬する理由の一つで困難に直面した時にはいつもこの歌詞を思い出します。

2006年は私にとってもターニングポイントですね。『涼宮ハルヒの憂鬱』という作品、『長門有希』との出会い。運命の出会いに感謝です。
とはいえ、2006年のみのりんが激動の波に呑まれたのは間違いありません。この時のみのりんには迷い悩みつつも断固たる意思を持った決断があったと思います。斎藤さんのコメントにも「大変ドラマチックな出来事がたくさんありました。」とのことなので。
やると決めたらとことん突き進む、チャンスを逃さない。
キングレコードで歌手デビューするときのお話(10minutes#49参考)や、漫画家を目指していた当時のエピソードなどもみのりんらしさがありますね。

■2007年

ランティスでの音楽活動スタート、歌手活動再開最初のシングル。みのりんの思い入れも相当なので毎年発売日(=世に生まれ出たという意味で誕生日)に「ありがとう」という感謝を伝えていますね。

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撮影した画質でわかるように当時の写真ですね(笑)。
私にとっても「純白サンクチュアリィ」は原点です。余談ですが私は長門のキャラソン→純白サンクチュアリィ→HEROINEの順に購入しました。様々な思いが当時からあったと思いますが、↓の画像はContactツアーのツアーパンフレットに記載してある楽曲紹介です。

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ついでに私のマイソングであるこちらも見て行ってください(笑)。

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そしてこのペースで振り返っていくと1年過ぎるのが限りなく長くなってしまうので断腸の思いでタイムトラベルします。

■2008年

毎年毎年何を語ろうか迷うくらい沢山の出来事があります。初のライブツアーである「Contactツアー」、2008年は3枚のシングルを発売していてその1つは初のTVアニメ主題歌+主役キャラの「Paradise Lost」、年表には記載されてないけど初代ファンクラブ「m.s.s」の創設など・・・2008年も盛り沢山です。
直近で関連したつぶやきをしていたことを思い出したので、ラジオみのりずむ初の公開録音&2ndアルバム「Parade」+2ndツアー「Paradeツアー」の発表会を少し振り返っていきます。

ヴァイオレット・エヴァーガーデンのオーケストラコンサートで久々にC.C.Lemonホールの跡地へ訪れたので思い出に浸ることができました。
ラジオの公開録音イベントに行くのに何故始発で並びに行くのかと思いながら物販待機した当時が懐かしいです(笑)。

Minori Hzは本当に斬新で謎でしたね。この日のイベントでは"日々を感じることができるのはとても尊いもの"という想いを込めた「一等星」や"何故あなたはカラフルなのか?知るわけないよね"というみのりんにしか生み出せないであろう「カラフライパンの唄」、そして2ndアルバムのリード曲「Voyager train」というギャップの振幅と周期が異次元の単位のラインナップだったので、メガやミリオンを超越する単位:みのりんという意味でMHzだったのかもしれません。

ラジオの公開録音イベントとして発表されたイベントだったので、2ndアルバム&ツアーは現地のイベントの中で知りました。2部構成のようにラジオの公開録音が終わり、次に制作発表会的なイベントに続いた時は驚きました。みのりんはアルバムの曲作りに対する各々の想いを聴いた時、涙が溢れていたそうです。(畑さん:そんなみのりんだから大好き)

Contactという出会いから今まで感じてきたことを素直に表現するみのりんの音楽がこれからもParadeという形で続いていく

気が早い話ですが、今回の「Re:Contact」。歌手活動休業という形で一旦の幕を閉じるわけですが、これまでの出会いは終わるわけではありません。いつまでもパレードの再開を願っています。でもその時はRe:Paradeではなく新しいスタートを切る意味のタイトルが良いですね。パレードは終わらないし終わらせたくないです。

■2009年

本格的な全国ツアーになった「Paradeツアー」、始まりの「SUMMER CAMP」、初のカウントダウンライブなど。
直近でサマチャン制作宣伝部がありましたがやはりサマキャン1もまたターニングポイント、そして恒例の河口湖サマーライブの原点となったライブでしたね。13年という長い積み重ねはこの先も消えることはありません。

このままだとサマキャン1のトークをしたいのにサマチャン2021の思い出になってしまうので、今は2009年、今は2009年・・・。

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当時が17時開演なのも今では驚きです(笑)。
初日の物販ではあいにくの雨で少し蒸し暑く、救急車も来るほどでした。
グッズはミノリクルというガチャポン形式のグッズが初登場でしたね。等身大パネルは最初から生まれていました。コラボは何も無かったので駅に行くことも無かったですね。
などなど例年とは全く違う様相に思えてしまうほどですが、「こんな遠くまで来てくれるのか」「遠くても来てくれるような楽しい仕掛けを沢山用意しよう」という斎藤さんのコメントにある通り、最初は私も遠いなという気持ちと日曜日はどうやって帰ろう土曜日だけでいいかな、という気持ちも当時少なからずありました。
まぁ結果的には杞憂でしたね。いつの頃からか、河口湖に「行く」ではないく、「帰る」という認識になっていました。
でもそれはみのりんのパフォーマンスの変化にもなった野外ライブの魅力、遠くても楽しんでもらえるようにという熱いスタッフ制作陣の想いが最初からあったからこそですね。

ちなみにサマチャン2021に戻ってしまうのですが、サマキャン1をリスペクトしたサマチャン2021。選曲もそうでしたが、解禁された年末ライブの会場が「神奈川県民ホール」というのも感慨深いです。それは地獄の物販待機や極寒のファイナル&カウントダウンライブの思い出だけでなく、そのカウントダウンライブが発表されたのもまた、2009年のサマキャン1だからですね。

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Final&CountDownライブは初の年越しライブでした。この時のお知らせではカウントダウンライブしか記載がありませんね。年表の斎藤さんのコメントによると、カウントダウンライブは深夜公演になるので未成年者が参加できないことを考慮して、ファイナルライブを加えて2回まわしにしたようです。このファイナルライブではオープニングSEを経て1曲目に「Contact」で2曲目は詩人の旅かなと身構えていたところに「純白サンクチュアリィ」でした。あとCMBインスト明け衣装チェンジしたみのりんが最初に歌う「animand~agitato」が深夜のテンションと熱気と神々しさでまさに古代神話の世界の儀式の場みたいなことになっていましたね(笑)。
カウントダウンライブでは私のマイソング「Peace of mind~人魚のささやき~」を歌ってくれました。映像化していないのが本当に残念です。初めてのカウントダウンはまさかの1分前、60からカウントが始まりました。流石はみのりんでした。そして2009→2010は無事に年号を間違えずに言えました。
眠気や年末の寒さと忙しさ、普通のフルライブを2連続、ファイナルライブもいつもの時間よりも遅めの時間帯という普段とは違うライブ体験でしたが、斎藤さんのコメントにもあるように非日常体験が興奮に繋がるものだと私も思いました。

■後編へ

抑えたつもりでしたがあまりにもカロリーが高くなったため、丁度5年分のところで一旦区切ります。2003~2006年をひとまとめにしているのにも関わらずなので、後編が中編になるかもしれません。どうなるかを見てみましょう。

■2010年
■2011年
■2012年
■2013年
■2014年~

■裏表紙

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本記事では省略して紹介していますが、冊子ではきちんと「何年何月に〇〇」という形で音楽活動の歴史が掲載されています。いわゆるウィキペディアのように全ての活動(個人活動ではないイベントやフェスなど)を網羅しているわけではありません。ですがやはりこの冊子を読むと、私のみのりんの歴史は常に音楽活動とともにあったことを実感します。ケニーを始めCMBやスタッフ関係者の人たちと同じ気持ちになりますね。寂しいです。今は。

最後に改めて

1から順番に説明するべきとは思いますが、長くなるので簡潔に。
本記事、というか私のnoteは基本的にみのりんとの思い出を残しておくために勝手気ままに書いていました。基本的には自分用としてだからです。
しかしこの音楽熱想第117回で「語り継いでいかなければならない」という言葉に物凄く感銘と刺激を受けました。

茅原実里さんに対しては、支えてあげたいとか幸せになって欲しいという気持ちが自然と湧き上がってきます。それはその周りにいる人たちがそうだからでもあり、その人たちが起こす行動は熱量が高く愛があります。力になりたいと思いますし負けてられないという気持ちも湧き上がってきますね。

ということで続きはこの先で。

※「Re:Contact」の特設サイトが出来たらリンク張ります。




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