見出し画像

ゆっくり言葉を紡ぎたい。どんなに時間がかかっても。

わたしは早いコミュニケーションが苦手だ。
早いことに価値があるとビジネスやサイエンスの世界では考えられていることなど、
しっかりわかっている。
もちろんのことだ。

しかし、早いコミュニケーションに適応しようとして口から出た言葉はわたしの言葉ではないように感じられてしまう。

どうしても、苦手。
早いコミュニケーションが苦手なことで、 
コミュニケーションそのものが苦手な子、というレッテルを貼られる。

わたしの中でいくつかの言葉が
そのレッテルによって殺された。

わたしはゆっくり自分の言葉が紡ぎたい。
絵を描く時にその絵具の色をパレットで何度も確かめてからゆっくりのせるように。

早いコミュニケーションしか受け入れない人は自分のこころときちんと対話できてるのかな
とつい不安になる。
その不安は、会話の中の一瞬のいこごち悪さに繋がる。

あなたがわたしにぶつけたその言葉。
それって本当にあなたのこころのなかにいた言葉だったの?
まだ消化されていない誰かの言葉なんじゃないの?

問いたいけど、既に貼られたレッテルによってその質問は無残に暗闇に溶けた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?