私たちはリサとガスパール。
私の大好きな人の話をするとき、彼氏と呼ぶとなんだか変な感じがする。かつて小学生の私がお気に入りのローズピンクのランドセルのことを、綺麗なえんじ色ね、って言われたときに感じたのと近い感覚だ。
彼氏という単語に付随するイメージと、私の中での彼の存在感がなんかずれるのだ。彼氏、のイメージを挙げてみよう。理想の彼氏特集みたいな女性誌のページに出てくる、キラキラで女性のステイタスを表すアクセサリーみたいな存在。あるいは元カレ何人?とか〇〇の頻度は?と言ったYouTubeの投稿に見られるような、数字で簡単にカウントされ代替可能な、下世話な話のタネとしての存在。
じゃあ何がしっくりくるか。私が彼のことが好きな理由に、2人で綺麗な景色を観に行ったときに景色に溶けることができるというところがある。2人で景色に溶け、今ここでこの時にしか感じられない感情を、この時間を空間を美味しく堪能することができるのだ。そのキラキラひかる思い出は、日常の忙しなさに流されそうになる私の心をしっかりと繋ぎ止めてくれるのだ。まるで流れの早い川で小舟が流されないように杭に繋いでおくように。
‥ここまで考えて、パッと思いついたのがリサとガスパールだ。
彼らの絵はなんだか幸せに溢れていて、2人自身が可愛いのはもちろん、まわりのエッフェル塔の風景まで輝いて見える。私が彼といるとき、まさにこんな風にまわりの景色が輝いて見えるのだ。夕暮れの江ノ島の海の柔らかな凪、京都の鴨川の水面の煌めきと水鳥の羽の輝き。一面に広がる紫陽花と、闇にほのかに光る幸せの象徴みたいな蛍の光。私の心の中のフォルダには忘れられない光景が何枚も納めされている。
私たちはリサとガスパール。なんか愉快だけど、これでいい。彼氏ではなく唯一無二の存在だ。
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