流しの国語辞典「梅」編
元々の漢字は「梅」
大地を覆う木の象形と髪飾りをつけて結髪する
婦人の象形から「草木が豊かに茂る」という意味
になり、美しく茂る木「梅」という漢字ができた。
また、「毎」は象形文字で本義は氏族社会の中
で、子供を最も多く育てた母親のこと。梅が実を
付けるとき、必ず枝々全てに実を付けていること
から、人々は梅をめでたい樹木と考えた。
約2000年前に著された中国最古の薬物学書
『神農本草経』には、「気を下し、発熱による胸
部煩満を除く、心をやわらげる。肢体痛)を治
す」と記されている。
日本には実を薬用にする「烏梅(うばい)」の形
で中国から伝来し、中国語では「ムエイ」のよう
な発音だったものを日本人が「うめ」と誤って
聞き取ったために、「うめ」と呼ばれるように
なったといわれる。
烏梅は青梅を薫製・乾燥したもので、実が烏の
ように真っ黒になることから「烏梅」と呼ばれ、
現在でも漢方薬のひとつになっている。
日本に現存する最古の和歌集「万葉集」
4,500首以上ある和歌の中で梅を詠んだものは
萩に次いで多く、118首もある。
花といえば梅だったほど愛されてきた。
年のはに 春の来らば かくしこそ
梅をかざして 楽しく飲まめ
(毎年春がきたら、こうして梅を髪に挿し、
楽しくお酒を酌み交わしましょう。)
平安時代に書かれた日本最古の医学書『医心方』
の「食養編」には、すでに梅は梅干として登場
し、「味は酸、平、無毒。気を下し、熱と煩懣を
除き、心臓を鎮め、四肢身体の痛みや手足の麻痺
なども治し、皮膚のあれ、萎縮を治すのに用いら
れる。下痢を止め、口の渇きを止める」と記述が
残る。
ときは平安時代。御所の梅の木が枯死したため、
代わりの木を探し求めさせたところ、
歌人・紀貫之の娘の屋敷の梅が名梅であるとして
御所に移植されることとなった。
別れを惜しんだ娘は
「勅なれば いともかしこき 鶯の
宿はと問はば いかが答へむ」
(帝の御命令でございますので、梅の木を贈呈致します。しかし、毎年庭に来て梅の枝に宿る鴬が我が宿は如何したか?と尋ねられたならば、さてどう答えたらよいのでございましょう)という一首を詠んだ。
これが村上天皇の目に留まり、哀れに思った天皇
の命で梅の木は娘の元に戻された。
この逸話の梅を「鶯宿梅(おうしゅくばい)」という。お酒の名前としても有名。
気前がいいことを「大盤振舞」というが、
この語源にも梅がかかわっている。
鎌倉時代の大切な儀式の一つとして、元日より
数日にわたり、有力な御家人が将軍に対し椀飯を
奉る「椀飯振」
献立は椀飯と打鮑・海月・梅干の3品に酢と塩を
添えたもので、折敷に載せて出した。
これが後に「大盤振舞」の語源になった。
梅は武士の時代、戦国時代の戦の際に食べられた
野戦糧食の一つで、栄養を手早く摂取でき携帯し
やすいこと、保存性、手に入りやすさや作りやす
さで重宝された。梅の木が全国に広がったきっか
けといわれる。
秀吉や家康もこよなく愛した梅。
松竹梅の並びから梅のランクが低く思われがち
だが、考えてみると花の最高ランクに位置して
いる。松竹桜でも良かったはずなのに。
気高き梅の姿を心待ちにしている。
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