不登校生のミカタラジオつくね
日本語に込められた素敵な意味やメッセージをお届けします!
私や非常勤講師陣の不登校に関する思いや考え、フリースクールの情報や通信制高校、進学や就職といった分野まで網羅した記事を投稿していきたいと思います。
氣づきのがっこう。の素敵なせんせいを紹介するページです。
充電中(不登校)を経験した勇者達。目まぐるしく移り変わる世界の中で自分に合った教育を誰もが選べる時代に早くなることを願って。元充電中の勇者達の体験談を伝えることで1人でも多くの充電中の子にヒントになるものを伝えたい。
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充電生(不登校生)の絶対的味方 「氣づきのがっこう。」 初代校長のてらっちです。 「ことだま・食・清掃」の三つを通じて 充電生に「氣づき」を与え、豊かで幸福な人生を築くための學校を創りました。 日本人は昔から神道でも仏教でも 「ことだまと食事と清掃」をとても大切にしてきました。 僕もこの三つを通じて充電生の心身を 元氣な状態に回復させて使命に沿った人生を歩めるサポートがしたいと考えました。 何故僕が「氣づきのがっこう。」を始めたのか? それは16歳のときに僕が経験し
やりたいことを実現するために必要な資金を準備して達成していく。そんなプロジェクトの道中で人に出逢い、モノや場所とのご縁で成長していく。好きや得意で生きていくためには回り道も時には必要で、スポンジのように吸収しながら自分だけの道を歩んでいってほしい。人とはちがう唯一無二の道を。
不登校を「学校に行けない子」や「学校に行かない子」とする人がいる。 どっちもマルでいいんじゃないかと。自分をよく見てくれている人が適切な評価をしてくれたらそれでOK。学校に行ってもいいし行かなくてもいい。直感を信じて心ときめく方へ。どんな選択をしても寄り添ってくれる大人もいる。
不登校になった後を想像したら暗そうやからって踏み止まる人もいる。それでも不登校を選ぶ人もいる。甘えや怠けって言われることもある。一度きりの人生で後悔しない選択を一つできたことを誇りにしてほしい。不登校を選んだ先にしかない人生を自分は歩いてるって胸張って生きてほしい。
教員時代からそうやけど、毎日クビになるやろうなと内心思いながら働いていた。雇う側からしたらこんなけ働かれたら不氣味やと思う。でもこれを止めることができない。だからこそ自分でやるしかないなと思い続けてきた。自分と同じ価値観や感覚の会社を探すより自分でやる方がいいってようやく氣づいた
今までゲームや外遊びをしてた子たちがマルシェしたりとうもろこし育てたりお好み焼き屋さんでお好み焼いたりしたことは毎日駄菓子を食べてた子たちが急に料亭の味を覚えたようなもんでもう前の生活には戻れないし退屈さを感じてしまう。ホンキやホンモノと人生の早い時期に出合えたら人生変わる。
不登校という括りは広すぎる氣がする。不登校の中でも人生に目的意識を持って、今の状況を打開するために考え、行動しようとしている不登校生にだけアプローチしていきたい。不登校という経験を糧に幸せを体感していく力を共に身につけ、豊かな人生を謳歌する居場所と學び舎を築くのが自分の使命。
自分のご機嫌を一番に考える。機嫌が悪くても良くても全部マル。それをしっかりと体感する。すべてマルだからどんな感情も楽しめばいい。それを感じに生まれてきたんやから。ジタバタする自分がいなくなってきた。自信も芽生えたかも。ぷって笑える自分に強くなったなって自然と声が出た。
引越してきてできた人間関係がキレイにリセットされた。かなり強引なぐらい。これはメッセージ以外に考えられないかも。新しいステージに上がり、変化していくんやろうな。今までもあったけどスピード感が早過ぎて思考も身体も追いついてない。でも考える必要はないのかも。感じるままに順うだけ。
面白いぐらいに色んなことが毎日起きている。人生の変わり目ってこんなときなんやろうな。後ろを振り返ったときにあれが無かったら今の俺はいないって不登校のときに感じたような出来事が今ひっきりなしに起きている。上振れする前触れが何ヶ所でも起こってて何が何か分からんけど、流れに任せてみる。
会いたくない人には会わなくていいし、合わさなくていい。やりたくないことはやらなくて。話したくなければ話さない。やりたいことをやることも大切やけど、やりたくないことをやらないことも大事やなと痛感した。やりたくないを積み重ねていった先にやりたいしか待っていない世界がある氣がした。
今ここを全力で感じるを続けていくと濃く生きることができるなと思う。過去や未来に意識を向けるのではなく、今を感じ切る。それを言葉にし、行動に移していく。その連続が生きるなんだと思う。不登校という過去があったから今を大切にし、今を生きることができると信じている。不登校のおかげの人生を
居心地の良い場所も心ない言葉や態度で一瞬にして居心地の悪い場所に変わってしまう。 言葉も大切やけど行動と一致しているか、行動が伴っているかも大切やなって。不登校生にとって居心地の良い場所の存在は大きくて家以外にそんな場所があるかどうかで人生の豊かさも決まるような氣がする。
呼ばれたので宮古島に来た。今までにはないほどのノープラン。でも点が線になる感覚がある。自然に生きる。ご縁で生かされる。自分があるようでない。自分がないようである。ゼロになる島と呼ばれる場所にこのタイミングで来た意味に氣づけると面白いな。誰にも干渉されない自由を体感してる。
いつかは独立という想いを不登校の子どもたちでフリースクールを作るサポートをするという形で実現できそう。自分のやりたいだけでなく、ニーズがあるところにサービスを提供できる。どんなフリースクールになるか分からないけど、形にしていける楽しみと喜びをたっぷりと感じながら進みたい。
通う子どもたち自らの手でフリースクールを作ることをプロジェクトとして取り組むと面白いんじゃないか。何かを0から立ち上げることを体験することには深い學びがある氣がする。誰かが決めたルールや時間割に囚われることなく、すべてを自分たちで話し合い作っていく。ワクワクするから多分こっち。