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充電中体験談 まなみさんその2

1回ではボリュームがあるので、やっぱり3回に

分けて投稿します。

摂食障害
辛く苦しい摂食障害が始まったのは中3の秋くらいだった。部活も引退して受験に向けての日々が始まった頃やったと思う。
受験に関して、私は小学生の頃から父親に行く高校を指定されていた。
「〇〇高校以下の高校は高校として認めへん」
小学生の私は、〇〇高校に行くモノなんやと、それ以下の高校は高校としてダメなんやと思いこんでいた。
中3になって、勉強をし出すとテストの点数は着実に上がっていった。それでもなかなか父の望む高校のレベルに学力が到達せず、焦っていた。
食べることが大好きで、食べることでストレスを発散していたようなとこもあったけど、父から「足が太い」「顔がでかい」「目がほっぺたに埋もれてる」「肩幅がごつい」など、さんざん容姿についてバカにされていたこともあり、太ることへの恐怖心や嫌悪感が強くあった。
その頃から次第に晩御飯を大量に食べては吐くという生活が始まった。
親は私の変化に全くと言ってもいいぐらい気付いていなかった。
その後、冬くらいに、母に手紙を書いた。
「いっぱい食べて吐いてしまってる。ごめんなさい。気付いてませんか?しんどいです。」
そんな内容やったと記憶している。
「全然気づいてなかった。どうしたらやめられる?」
「便座に鏡付けようか?自分の吐いてる姿見たらやめれんちゃう?」
そう言われたが、やめられる方法が分かってればとっくの昔にやめられてる。体重は着々と減ったが、お小遣いはもらうとすぐに食べ物で消えていった。

高校受験
とうとう迎えた受験日。
併願で受ける私立高校は、母の憧れだった高校に勝手に決められた。電車を乗り継いで行かなければならないような場所にあった。私に選ぶ余地は全く無かった。私立高校には合格した。
公立高校の方は、父が言う高校には学力の面でやっぱり届かなかった。私は中学での部活動がとても楽しかったこともあり、部活の友達と同じ高校に行きたいという気持ちが強かった。でもみんなが行ったその高校は両親から言わすと「あんたの学力でそこはもったいない」との理由で受験を却下され、結果として私の学力でギリギリ手が届くかという他の友だちが受験するところよりもレベルの高い学校を受験させられた。そして受かった。
受かったけど、長年私のなかに積み重ねられた「〇〇高校以下の高校は高校じゃない」という言葉は私の心にのしかかったままだった。高校じゃないところにしか行けなかった私。親の長年の期待に応えられなかった私。

②へ続く

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