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流しのがっこう開校から半年を振り返ってみる

去年の年末、FUNKISTのライブにスタッフとして

「京都→横浜→東京」と帯同させてもらった。

移動中の車内や空き時間にマネージャーのCho-1さんと流しの国語教師(当時)について語っていた。

メンバーが寝静まった夜中の高速で運転席のCho-1さんと助手席の僕。

着飾ることもなく、自分のビジョンを語った。

自分の中にある無数のピースがどんどん表出してきて、こんな形のピースがこんな数あったんやって驚いたことを覚えている。

やりたいことが多過ぎて、欲張りな自分は1番が選べなくて、どんどん迷いのトンネルを奥へと進んで行ってた。

1人で歩を進めてきた流しの国語教師。高校生のときに充電中(不登校)を経験して、そんな僕だからこそできること、分かることがあると思って学校に帰ってきた。教師はサービス業だと感じていたから30歳まで色んなサービス業に従事して経験を積んだ。満を辞して教育の世界へ。

自分の思い描いていたものとのギャップに心が何度も挫けそうになった。心が痛くて生徒や保護者のためって思いに意識が向けられないほど、自分のことでいっぱいいっぱいだった。

教師になってからも充電しそう。何度もそう思った。

でも、僕のこの授業だけは絶対たくさんの人に届けたいって。絶対人の心に刺さって人生の糧になるって。これだけは自信があった。

だから、充電0%になる前に自分が充電できる場所を作りたかった。

「お前は何億もかけて立派な校舎や教室を作るのが人生の目的なんか?授業を1人でも多くの人に届けるのが目的なんやろ?じゃあ学校休みの日にでも数時間レンタルスペース借りてお客さん呼んで授業したら?それなら今でもできるやろ?」

当時の僕は頭でっかちでバカでかい理想を抱えて「できない、できない」って嘆いてた。

夢を小さく小さく区切って実現させていけばいいんやって。

去年の6月に流しの国語教師のイベントを開始。

たくさんの素敵な人の前で国語の授業を披露した。たくさんの声援と拍手の中で僕の心がどんどん充電されるのを感じた。

授業は内容を詰め込み過ぎたから正直何言ってるか分からなかったと思う。それぐらい充電することに必死だった。

でも、「僕は日々こんな思いで生徒に向き合ってるんです。こんな授業を子どもたちに向かってやってるんです。僕のやってること間違ってないですよね?」

この言葉にとにかくたくさん賛同や賞賛がほしかった。確認したかった。

どや!って気持ちだった。

自分本位で自分勝手なイベント。それなのにたくさんの人が褒めてくれた。認めてくれた。

なんてこの世は優しいんだって。救うって思ってたのに逆に救われてるやんって。

イベント帰りの電車に揺られながらパソコンを抱きしめて

「このまま眠って一生目が覚めなかったとしても後悔はしやんな」

って毎回思っていた。自分の国語の授業を聞いて「良かった。元気が出た」

って言ってもらえただけでこの世に生まれてきた意味があったなって。充電中のとき、この世を去るって決断をしなくて良かったなって。今、自分は誰かの役に立ててるよなって。

それから流しの国語教師をコンスタントに続けていけたのは周りの温かい人の支えがあったから。相変わらず、言いたいことてんこ盛りでスライドが200枚を超えることもザラだった。

言葉のシャワーどころか言葉の暴力でしかない授業をみんなほんまによく聞いてくれてたよなって今なら冷静に思える。

授業中に泣くし怒るし笑うし。みんなは何を見せられてるんだろうって。動物園のショーやないんやから。

転機はひょんなことから訪れた。

「一緒に授業したいんやけど」

その一言に身体中に電気が走った。

「国語×〇〇」のコラボ授業がスタート。

僕の持ち時間は冒頭の30分になった。

それまで60分の予定で動いていた流しの国語教師は90分超えても終わらないことが日常化。

ただただ僕の自己満足のイベントになっていた。

そこから軌道修正をして、30分の中で自分の話したいことを伝えてから、コラボする非常勤講師へとバトンを繋ぐ形式に。そのおかげで自分が伝えたいポイントに絞った授業ができるようになった。

生粋の気ぃ遣い症の僕は自分のためより人のために動く方が楽しくてどんどんコラボ授業を進めていった。

今まで授業に足を運んでいなかった人や僕の繋がりではない人がどんどん流しの国語教師のイベントに参加してくださるようになった。

コミュニティができてきた。しかもそれは初めて自分の周りにできたもので、僕にとってかけがえのないオアシスだった。

どんどん充電されていく自分。

満たされていく自分。

それに反比例するように生まれたものがあった。

それは「流しの国語教師って初めにやってたこととズレてきてない?充電中の人を救うんじゃなかったの?」

という言葉だった。当時の僕には意味がよく分からなかった。だから、そのままイベントを続けた。でも、その引っかかりや違和感は日増しに大きくなっていった。

非常勤講師がこれだけ集まってくれたんだから、自前の校舎や教室がなくてもがっこうになる。

今年の1月1日に「流しのがっこう」は開校した。状況は何一つ変わっていない。教室はレンタルスペースか知り合いのお店を間借りする。コンテンツは僕単独でやる「流しの国語教師」かコラボ授業のみ。

違和感を解消したいと思って非常勤講師の方々に改めて自己紹介してもらう場を作った。自己紹介が始まった瞬間に気付いた。自分が学びたい、得たいと思っていることのプロの人ばかりだった。なるほど。そういうことか。

この人たちは僕を癒すために集まってくれたんだって。充電中の子や充電を経験した子たちではなくて僕のためやったんやって。そこで気付いた。めちゃくちゃ遅いけど。不器用な自分っぽい。

高校生のときに充電したことで僕の心の船底には大きな穴が開いて、水を掻き出しながら航海しているような感じだった。いくらやっても満たされない感覚がずっとあった。そこに非常勤講師の人があの手この手で補修作業をしてくれていた。なのに僕はそこに背を向けて「充電生に授業をして彼らを癒すんだ」って船を操縦していた。そんなルフィには誰も手は貸さない。

アンパンマンで大好きなシーンがある。お腹が減っている人たちに自分の顔を与えるアンパンマン。最後に顔を全てあげ切る場面。あそこに僕は最高の自己犠牲というものを小さいときから感じていた。

その話をしたときに、こんなことを言われた。

「てらっち。アンパンマンは何故自分の顔を全て分け与えられると思う?それはな、絶対新しい顔を作ってくれるジャムおじさんと100%のコントロールで顔を投げてくれるバタコさんの存在がいてくれるからやねんで。てらっちはそうじゃない状況でも全部あげようとするやろ?そんな危なかっしさがある」

「てらっちは駅でティッシュ配りしてる風に見える。あまり欲しくないと思ってる人にも手当たり次第渡していってる感じ。それで『100個欲しい』『1000個欲しい』って人が来たときに『すみません。もうこれだけしか手元に無くて』っていつもなってるねん。もったいない。必要な人に必要なだけ届けられる人になろう」

まさにやなと思った。

僕が流しの国語教師や流しのがっこうをやってる理由は「充電中に傷ついた自分の心を癒すこと。船底に開いた穴を修復すること。そのために集まってくれた非常勤講師に甘えて癒してもらうこと。それを他の人にも利用可能な形に開放すること」なんやって気付くことができた。

アンパンマンの顔をあげる感覚ではなく、スーパー銭湯のように僕の癒しの場を一般開放するイメージ。だから、ずっと無くなる心配はない。むしろ、一緒に癒されていく様子が見れて僕の心の修復時間はどんどん短縮されていく。

海外でも増えている充電生。それなのに日本のような問題が起こっている国はレアケースだという。何故か?

それは学校以外の学びの選択肢が整備されているか否か。極端な言い方をすると日本には学校以外の学びの選択肢がない。(卒業資格を得られるという意味で)なので、学校に行かないという選択をした瞬間に一気に不利な状況へと追い込まれてしまう。(本当はそうでもないんやけどね)

充電生にも充電生としての言い分がある。でも、それがなかなか受け入れてもらいにくい。多様性が広がりを見せる中で教育にも合う合わないが現れるのは自然なこと。でも、残念なことに学校教育に柔軟性が乏しいというのが現状。通信制高校一つとってもそうだ。元々勤労学生を支援するためにできた学校だが、現在通っている生徒の大半は全日制から転入してくる子か充電生だ。それなのに昔の勤労学生を支援する形のままたくさんの充電生を受け入れている。ここに大きな歪みが存在している。今の通信制高校は充電生を支援するための仕組みやカリキュラムではないまま動いているということだ。例えて言うなら、お兄ちゃんのお下がりのブカブカの服を無理矢理着させられている弟みたいな感じ。早くあつらえてあげてほしい気持ちでいっぱいだ。

公立の小中学校で行われている教育は概ねこんな感じだと思う。大人数での一斉授業。校区に住んでいる学力差の激しい生徒がランダムにクラスに配置される。習熟度はバラバラで簡単過ぎると思っている生徒もいれば、難しくてちんぷんかんな生徒まで混在している。得意な科目は高校生の内容、苦手な科目は小学生のレベルのものをやるといったぐらいの幅での習熟度別教育は展開されていない。

1人で黙々とやるタイプの子もいれば、強制されることが苦手な子もいる。大人数が苦手なのではなく、1人が得意なだけなんだけど。特性や個性によって1人1人に合った形で教育が展開されるようになってもいい時代に突入してきていると僕は思っている。

学校以外の選択肢を作って、学校教育に特性的に馴染みにくい子でも受けられる教育の形があってもいいのではないか。もちろん既存の学校教育に馴染む子たちはそのまま学校に通っていくことに僕は何も問題を感じていない。

今回のコロナのことがあって、なかなか進まなかったオンライン教育へと舵が切られたことで学校教育の可能性は一気に広がったと思う。

「いつ、どこで誰から学ぶかを選べる」時代へ

流しのがっこうのコンセプトは

「いつ、どこで誰から学ぶかを選べるがっこう」

24時間好きな時間に世界中どこにいても、そして担任も科目担当も何なら科目自体(勉強以外も)も、子どもたちが好きに選べるようになることが大切だと思う。

何を学ぶかも大切だけど、それと同じくらい、誰から学ぶかも大切だからだ。

これからは自分を癒し、そこを一般開放することで共に癒されていく場所を流しのがっこうとして世の中に提供していきます。その拠点として祖母が残してくれた空き家を流しのがっこうの事務所兼教室とするために絶賛DIY中です。(チームDIYの皆さんありがとうございます!)

そして、充電中や元充電中の子や親御さんに取材をして記事にする活動をこれからも続けていきます。この活動の主目的は記事にして読んでもらうことではなく、充電を経験した親子をとにかく癒すことです。そのために元料理人として料理を振る舞うことや整体の経験を活かしてマッサージをすることもあります。

次にやることが充電について理解ある全国の学校やフリースクール、塾、企業を改装した軽バンで回って取材をしながら流しの国語教師として授業させてもらう「てらっちの全国行脚」という企画。

それを通じて「充電版食べログ」のようなポータルサイトを作ろうと思っています。

それらをオンライン、オフライン問わず、たくさんの人に届くように選択肢を用意しながらこれからも流しのがっこうは展開していきます。

コンセプト決めをする中でたくさんの苦しみを感じて、心が折れそうに何度もなりました。何で自分の好きなことをしてるのにこんな苦しむんやって、悩み続ける日々でした。でも、今になってようやく分かってきました。素晴らしい収穫物のためには雨の日、寒い日、雷の日も必要だってことが。晴れの日ばかりだとうまく育たない。そんな日々も今の僕には大好きで素敵な非常勤講師が居てくれて、信頼できる流しのがっこうスタッフや参加者さんが居てくれている。だから大丈夫。もう怖くない。もうブレない。この経験を糧にまた今日から歩き始めます。

止まることが少ないと書いて歩く。

歩くって止まっていいんだ。だって人生は長いんだから。疲れたら充電。貯まったらまた歩き出せばいい。貯まるまでの時間も人それぞれ。充電するタイミングも人それぞれ。学びたい内容も人それぞれ。

それぞれでいい。それがいい。

2020.6.28 流しのがっこう校長 てらっち

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