私が中学部活で学んだこと Vol.1
こんにちは!テレビでひと昔にあった罰ゲーム「レモン丸かじり」あれは私にとって罰ゲームじゃないと思っているばーちです◎(レモン食べられます)
本日はタイトルの通り,中学校で所属していた部活動での思い出を記していこうと思います。最近文章を書くことが好きだと気づいて,noteの募集中ページからテーマを選んでみました。
おそらく3年間の思い出を1つのnoteにできるはずは到底ないので,何回かに分けて書いていこうと思います。
入部の時に言い渡される”約束”
さて,遡ること約10年前,中学生だった私が選んだのはバドミントン部でした。
もともとはバスケ部に入る気満々だったのですが,当時ピアノも習っていた私はそちらを優先したい気持ちもあり,ケガをできないと思ったので,迷っていたもう一つの選択肢であるバドミントンを選びました。
部員は同学年が20人,先輩を入れると40人近くいるような校内でも人数が多い部活の1つでした。
そしてなんといっても,顧問の先生が
鬼(笑)
こんなこと言ったら怒られる笑
めちゃめちゃ練習が厳しく,また文武両道を怠ることは許されず,普段の生活もしっかりしていないと練習がなくなるような部活でした。
毎年最初のミーティングでこう言われます。
「もしもこの部で問題が起きた時,選択肢は3つだ。その(当事者)本人が退部するか,俺が顧問を辞めるか,廃部。停部や休部はこの部活にはない。」
ひょええええええ,ですよね笑
部員全員がこの言葉を聞いて入部します。
また,こうも言います。
「もし3年間,学年全員が辞めずに残ったら,その時には坊主にしてやる」
と。もちろん先生が坊主になる,ということです。これを聞いた瞬間私はこう思いました。
「(にやっ)絶対坊主にしてやる…」
なんという反骨精神のかたまり笑
初めての試合で
いまだに記憶にある1年生の時に先生に言われた言葉があります。
学年別にトーナメントが組まれるシングルスの大会で,私は初めて試合に出場しました。私の学校の目標は
「地区予選全トーナメントにおいて,優勝すること」
人数によってトーナメント分けをされて,そこで優勝した者のみが全市大会に出場できます。当時は4つのトーナメントが作られました。
私の学校は出場人数も多いので,途中同じ中学の選手と戦うこともありますが,とにかくその4つのトーナメントすべてにおいて優勝すること,つまり大会で設定された全市出場枠を総なめすることを求められました。
目指すは優勝のみ。そして結果は
私がいるトーナメントのみ,優勝を逃しました。
他の3つは同期の選手が優勝し,私は他校の選手に負けて敗退,全市出場を逃しました。私のトーナメントの中では,校内の順位は私が一番上だったため,実質私が負けたことが,全市出場を取れなかった原因,そう思いました。
試合後のミーティング中も悔しくて涙が止まらず,泣きながら先生の話を聞いていました。(内容はもちろん覚えていません)
ミーティング終了後,先生はまだめそめそ泣いていた私を呼び,こう言います。
「泣くな。泣かなくていい。泣くぐらいなら勝て。」
私はこの日から高校部活を引退するまでの約6年間,試合に負けても自分の思うようなプレーができなくても,泣くのをやめました。(正確にいうと「人前で」が付きます笑)
先生のこの言葉は乱暴に聞こえるかもしれませんが,この言葉はのちの私のバドミントン人生にかなり大きな影響を与えました。
何かに取り組むプロセスはもちろん大切ですが
結果を出すことも同じくらい大切。
そして泣いている暇があるなら,
この悔しさを忘れずに
次勝つために何ができるか
それを考えることが
負けた時にすべきことだということ
私はのちに中学でも高校でも部長を経験するのですが,結果で示すこと,そして出た結果を素直に受け止めることなど,私のキャプテンシー(キャプテンとして何を大切にし,どんな姿をチームのメンバーに見せていくか)を創り上げる一つの要素にもなりました。
「絶対泣いちゃダメ」とは思わないですが笑
それよりも重要なことがあるということです。
今でも勝負の世界では,
強くありたいと思います。
Vol.1はここまで◎
次回は2年生の時の学びを書こうかなあ
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