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【ソシガヤ格闘記・第5週②】自分ができる変数を見つめ直し、明日からまた。

こんにちは。初めまして。
慶應義塾大学メディアデザイン研究科修士2年、
休学中の吉田凌太(よしだりょうた)といいます。

昨日に引き続き、タクティカルアーバニズムの話をします。タクティカルアーバニズムは、行政や都市計画といったトップダウンの手法ではなく、市民がじっくり、かつ戦略的に変化をつけるにはどうするのかという点に主眼が置かれています。

自分も街にキザシを作るといった点を進める上で、変数がどの部分にあるのか、という点を常に意識として持つようにしてます。定数を動かそうとしても、なかなか効果が出ず、無駄な効力になってしまうからです。

例えば、「車椅子の方々が歩きやすい街を作るには?」という問いを立てた場合、いくつかのアプローチが検討できます。

  • 道を広げればいいんじゃないか?

  • 歩行者天国を作ればいいんじゃないか?

  • ベンチをつくればいいんじゃないか?

  • イベントをすればいいんじゃないか?

とかが、出てくるおおまかな意見です。行政主催の会議においては、これらの一発の効果が大きい解決策がたくさん出てきます。

言い切るのは簡単です。
ただ誰が、どのようにやるのか、果たしてそれができるのか、そしてこれらの取り組みを自分が1からやるより、他の人にお願いしたほうがいいのでは、ということも考えられます。地主だったら土地をコントロールできますが、一市民がまずはできることは何か。

上記の回答に対しては、

  • 車椅子の移動しにくさは、街の移動というより、道から店に入る際の入りにくさにあるのでは?

  • 道を広げるのではなく、道を通る交通量を制限し、道を相対的に広く活用できるのではないか?

  • 歩行者天国を作らずとも、今ある広場やスペースを活用して、非公式的に貯まれる場所を作れるのでは?

  • 居場所となるベンチを設置せざるとも、車椅子や移動型の椅子で代用し、その様子を観察できるのでは?

  • 街を通っている車の用途の多くは運搬用なのであれば、運搬のあり方を見つめ直す必要があるのでは?

など課題設定や対象に応じて、たくさん疑問が生じます。
これらの疑問を最初から全て解決することもできないからこそ、まずはコントローラブルな変数がどこかを見定めて、小さく実験することが求められます。

調布市発祥のねぶくろシネマは国内事例のひとつ。
「映画館に子供を気兼ねなく連れて行きたい」という思いから始まった取り組みで、調布市がシネマの街ということもあり一気に広がりました。
今では、全国各地で40回以上開催。これまでに延べ2万人以上を集客する人気イベントになっています。

シネマを見る行為の中で、寝袋を持ってみられるというライトな負担、そして寝てみられるという体験がうまくデザインされています。「スクリーンが無いので、鉄橋の橋脚に映画を映す」、「真冬で寒いので、寝袋に包まって映画を楽しむ」などのアイデアが特徴的です。また、「子どもは声を出してもいい」「そして大人はそれを許してあげる」というのが観覧者で共有するルールもあるらしいです。変数とワクワク心をうまく活用した事例の一つと言えます。

東京ピクニッククラブも面白い事例です。
1802年3月15日、ロンドンで「Pic-Nic Club」という団体が屋内で余興を行い、飲んで踊って社交パーティーをした歴史があるようです。運営、並びに参加者は、ピクニックを参加者それぞれが寄与する社交と捉えています。そこで、建築、都市計画、造園、食、グラフィック、編集など多彩な分野のメンバーがアイデアを持ち寄り、自由で洗練された現代都市のピクニックの姿を提案します。「ピクニック・ライト(=ピクニック権)」を主張し、社交の場としての都市の緑地や公共的空間の利用可能性を追求しているのがこの取り組みの最大の特徴です。公共圏の使い方といった抽象的な話から、一気に目に見える形に落とし込むのが巧みです。

タクティカルアーバニズムの文脈だと、パークレットや道の装飾などはよく引用されます。みんなで街を絵の具で塗ったり、街の中に暫定的な居場所を作り、芝生を敷くことで、子どもも大人もゆっくり楽しめます。

もともと駐車スペースとレンタル自転車置き場として活用されていた道路の一区画を活用し、パックマンを描いたりする「Pavement to Parks」の取り組みは最たる例です。シアトルの職員も一緒になって、使われていない道路を、みんなが集うコミュニティスペースに変えて行きます。短期間・低コストで新しいパブリックスペースをつくり、住民からアイデアを募り、実施する案を住民投票で決定しています。

祖師谷でも、毎年4回祖師谷みちとの遭遇プロジェクトといった形で、道の一部を通行止めにして、子どもたちがいろいろな遊びを堪能できるイベントを展開しています。5月にも開催されるみたいです。

アメリカのタイムズスクエアでも今では歩行者が歩きやすい街になっていますが、昔は違いました。幾分かのトライアルを重ねて今の形に大きく変容しています。同様にアメリカのParkingという取り組みは、最初は非公式の取り組みからスタートしています。駐車場のロットの一区画を有志で買い取って、自由にその場をデザインしたことがきっかけで、一気に広がりました。歩きやすい場所を作るといった思いを根底に、できることからスタートする大切さを勉強させられます。

オーストラリア・メルボルンの郊外のまち「ポイント・クック」で行われているPoint Cook Pop-up Parkも同様です。ポイント・クックは急速に住宅地開発が進み、移民など多くの人が移り住んできました。しかし、まちには住宅とショッピングセンターのみ。主婦層はその往復をするだけの暮らしで、近所付き合いもなく、コミュニティが全く育っていなかった背景があったみたいです。そこで立ち上がったのがポイント・クックに住む主婦のスーザンさんとサラさんでした。近所の1軒ずつに声をかけて、賛同者を募った2人。その行動の結果、協力者や助成金を集めるのに成功します。今では商店街を封鎖して芝生を引き、いろいろなイベントを住民主導で展開しています。

これらの事例は事例としてとても参考になります。ただ横流しにするだけでは物足りない。その上で、必要な観点だと思ったことも含めて最後にまとめます。

  • モードを作る、演者になりきる人をどのように増やすか、そしてそれに値する取り組みをどのように見せるかが大切??

  • ここでも身体性(触る、寝る、聞く、歩く)といった行為が密接に関わっており、そこにコンテキストが交わることで、意味をさらに強くする。

  • これらの取り組みを祖師谷で展開するなら、祖師谷のコンテキストを強めに見せる何かがあると面白いかも。それに際して、民俗や伝承とかは一つ鍵になるかもしれない。

以上の3点が率直に感じたことになります。下北沢を昨日散策する中で、若者がとても笑顔で歩き、時に椅子に座ってゆっくりする風景を見てきました。祖師谷は下北沢とは全く違いますが、下北沢の若者がなぜ溢れかえっているのか。そこには、何があるのか。

僕自身は、服装や格好といったモードが関係している気がしました。純粋に街に来ることが楽しいというのもありますが、街にいる自分自身に酔える感覚、その街という舞台で歩き続ける自分が輝いて見えるのかもしれません。
でもそれってとても大切だと思います。

その上で、祖師谷を見た時に祖師谷にも面白い素地がたくさんあると感じます。以前こんな記事を拝見しました。小島さんは普段から相談に乗ってもらう方で、とても面白い方です。

私が子どもの頃は、その辺で映画の撮影をしているというのが日常でした。いけないんだけど、悪ガキだったから東宝の撮影所に忍びこんだりもしてました。円谷プロは東宝の衣装部の倉庫を使っていたと思います。

記事より引用

この言葉がとても引っかかってます。ここら辺が祖師谷での面白さに繋がる感じは直感的にします。悪ガキっていう表現素敵だと思います。
子どもたちが多い街だからこそ、何か幼少期にできない街ならではの温かみのある活動を展開できそうです。

来週も頑張ります。


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