見出し画像

僕が芸人をやめるまで 第1話 お笑いとの出会い

これは僕がNSCに入り、
吉本興業で漫才師として活動し、引退するまでのお話。

第1話 お笑いとの出会い

決して陽キャラとは言えなかった。

中学は野球部キャプテン
高校は学級委員を務める
いわゆる優等生の量産型だった。

子どもの頃は
親の教育方針で、友達の中でも話題だった
〝ごっつええ感じ〟などのバラエティーは
見せてもらえなかった。

しかし吉本新喜劇と日曜のコメディだけは
上方の文化だと
なぜか見ることを許してもらえていた。

そこである人に目を心を奪われる。

藤井隆さんだ。

ポップでキャッチーなのに
毒を含んでいて
でも最後はハッピーで終わらせる。

そんな唯一無二の存在に
憧れまくった。

進んだ高校が大当たりだった。

入学したときには
知らなかったが
代々、生徒たちが休み時間や
文化祭で漫才をする
お笑いが根付いた高校だった。

同級生に誘われ
僕は人生初の漫才を経験する。

そこから3年間
テスト期間中に部活が休みになる
放課後にネタ合わせをし、
昼休みに視聴覚室を借り漫才大会を
開催するようになった。

初めては誰かのコピー漫才だったが
2回目からは
自分たちでネタを書いた。

藤井隆さんに憧れた男は
高校で漫才に出会い
2年の三者面談でNSC進学を
明言する。

親は呆れ顔、教師は大反対。
芸術大学を勧められる。

そのとき勧められたのが
大阪芸術大学。

もし入学していたら
同年代のミルクボーイさん
同期のななまがりと
そこで出会っていたのかもわからない。

僕は高校3年まで
この学業、部活、漫才の
3刀流を貫いた。

3年になったすぐに
放送芸術学院という専門学校で
お笑い大会が開催されることを知る。

そこには高校生でも飛び入り出演OKと
書かれてある。

僕らはそれにエントリーし
優勝する。

そこから勘違いは加速し
プロの芸人になるという
夢は膨らんでいった。

周りが受験だなんだと言い始める頃
僕は当時組んでた「ザ・テンションズ」の
相方にこう言われる。

「指定校で大学へ進学する」

「プロの芸人になる気はない」

もう高校3年の夏だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?