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フジロックとステートメント

久しぶりにnoteを書く。

あまり気持ちが固まっていないまま書いたツイートにいいねがたくさんついてビビったので、できるだけ書き下してみる。

音楽家の書いた文章に胸を打たれる一方で、そういうものが上がってくるたびに感動で波打つタイムラインを少しおそろしく思う。ソングライターたちのステートメントがとても胸を打つ誠実な文章であることは、そもそもそういった能力が日常的に求められる職業であることと無関係じゃないはずだ。当然それだけじゃないけど、そこと切り離してアスリートと比較するのはフェアじゃないと思った。アスリートにも気持ちを言葉にするのが上手な人はいるけれど、必ずしも必須要件ではなかったろう。少なくともこれまでは……と、アスリートの発言にまつわるゴタゴタを振り返って思う。

“自分の気持ちを言葉にできる”という能力はもちろん努力の賜物でもあるけど、向き不向きも確実にある。個々の読み手との相性もある。思いを言葉にするまでの回路にもバリエーションがあって、自分に近い回路の人もいればそうでない人もいる。
その能力が反射神経がいいとか身体のバネが強いとか、そういったのと同じような素質の一種だとしたら、(鍛えることはできるにしても)技術の多寡で人格の優劣を決められる世界はやっぱりおそろしい。なのにインターネット上では、それを抜きにして人を判断するのがあまりに難しすぎる。

木曜から土曜にかけて、今まで“自分の気持ちを言葉にする”ことを丹念に続けてきた音楽家たちが、めちゃくちゃな人数の不安と期待を深く引き受けるのを見た。彼らのステートメントに感じ入った一方で、人が人を“推す”構造の歪みがいよいよ色濃く感じられて苦々しくもあった。
言葉の齟齬でいくらでも否定されてしまう人々の一方で、礼賛されるほうの人々は、ねずみ算式に重くなる責任をどう軽くしたらよいのだろう。到底持続可能な重さではないのでは…と思ってしまうのは心配しすぎだろうか。物書きならともかく音楽家たちの主戦場はそこではないはずなのに、ノブレス・オブリージュに似た何かを多数が少数に強いているような感じさえする。財力や地位ではなく、言語化が上手いということに対して発生する責務。

上のツイートで“勝つる”と書いたけどほんとは全然勝ってなんかないと思うので、そんな言葉を使ったことを少し後悔している。でも実際、そういう人が“勝つる”とジャッジされる世界観で最後に笑うのは、この3日間の大勢の胸の内を引き受けたような、私が誠実だと思う音楽家たちではない気がする。人が人を推す仕組みをもっとむごいやり口でハックするような連中はいる。

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折坂悠太氏の文章を読んだ時、『銀河鉄道の夜』のこの部分を思い出した。タイタニック号の沈没の折、子供2人を助けることに葛藤する家庭教師の青年の独白。

私は必死となって、どうか小さな人たちを乗せて下さいと叫びました。近くの人たちはすぐみちを開いてそして子供たちのために祈って呉れました。けれどもそこからボートまでのところにはまだまだ小さな子どもたちや親たちやなんか居て、とても押しのける勇気がなかったのです。それでもわたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから前にいる子供らを押しのけようとしました。けれどもまたそんなにして助けてあげるよりはこのまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。それからまたその神にそむく罪はわたくしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。けれどもどうして見ているとそれができないのでした。
(青空文庫より)

三往復もの葛藤であらわされた、命を背負う判断の残酷さ。それでも必ずどちらかは選ばなければならず、結局青年は子供2人をボートに乗せないと決め、しっかり抱きしめて共に銀河鉄道へやって来た。
開催されることでボートから投げ出されるかもしれない誰かの命を背負った彼の言葉なくして、私は3日間配信を観続けられるほど、フジロックを信じることはできなかったかもしれない。

はっきりいってこの週末は完璧なるツイッター見すぎ、揺さぶられすぎだった。ずっとYouTubeとツイッターを交互に見ていた。自分一人なら心の距離をとることができた状況でも、タイムラインの波に一度足を取られてしまうと逃れられない。フジロックが終わってもまだ陸酔いが続いている。

いや、まだ全然終わっていない。むしろこれからだ。特に首都圏のクラスター追跡がまともに機能していない今、現地での感染がなかったと証明すること、胸を張って世間に信じてもらうことはまず不可能だろうと思う。
“気をつけながら楽しむ”なんて不可能だと(一年半もかけて)分かってきた中でのこの祭りは、おそらく本当は、“楽しむ”を極限まで削って“気をつける”を詰め込める人しか来てはいけないものだった。実際、現地の報告や湯沢町の回覧と思しきビラに書かれていた感染対策はまるで軍隊だった。“特別なフジロック”というコピーも、現地では統制の意味で機能していたみたいですね。けど、本当の軍隊ほど監視の目は多くはない。
ライブが素晴らしければ素晴らしいほど時折漏れ聞こえてくる歓声、暗闇の中で飛び跳ねる観客の絵面は正直見ていて辛かった。どれだけ立ち位置が守られていても密に見せてしまう望遠レンズの圧縮効果をナメすぎだと思った。それでもBEGINやTHA BLUE HERBのように、自分の主戦場で懸命に言葉を選ぶ音楽家たちの姿は深く心に沁みた。

これを機に、結果がどうであれ一生フジロックを快く思わない人もたくさん生まれただろう。
私の母親の実家は新潟にあって、私自身も生まれは新潟市だ。子供の頃は毎年新潟でお盆を過ごしたし、新潟での法事がコロナ禍前の最後の遠出だった。人の顔がギチギチに圧縮されたあの映像を、ディープな音楽リスナーではない親戚が、持病で長らく入院している祖母が見たらどう思うか……想像するととてもとても心細い。
個人的には、このことに関していちばん“言葉にできる”、本来いちばんその責任を負っている運営が少しでもそれらを踏まえてくれたら……と思っている。

フジロックについて“自分の気持ちを言葉にする”ことに責任を負うべき立場が、もし運営以外にあるのだとすれば、それは少しでも関わったことのある音楽ライターだと思った。なので書くことにした。長くなりすぎた。

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※BEGINのライブが素晴らしいことを教えてくれたのは一昨年行った京都音博だった。本当にありがとうございます。音博は今年もオンラインで、フジロックとは違い銭を投げることができる。

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