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10月某日

久々に帰省し、運転の練習がてら玉野の王子が岳へ。展望台の一部を改修したカフェはどえらい人気で、順番待ちのあいだ人々は展望台で海を眺める以外にすることがない。というか、この山にあるのはそれとおじさんみたいな人面岩くらいなので、海を眺める以外の目的などはなから無いも同然だった。
地元の鷲羽山(瀬戸大橋が生えている根っこ)より高い山だから、今までで一番高いところから瀬戸内海を見たことになる。キメの細かすぎるすりガラスみたいな海に、無数に浮かぶ島並み。それらをつないで向こうに伸びるロープのような瀬戸大橋。

住んでいた頃、いや引っ越してからもしばらくの間、瀬戸内海の穏やかな美しさは私にとってあまりにも当たり前だった。
むしろ岡山の海は淡路島や小豆島に比べると藻が茂って緑っぽくて、あまりきれいじゃないのではとすら思っていたから、インターネットで「人生で見た中で鷲羽山から見た海が一番美しかった」とまで語る人がいるのが不思議だった。
高校生の頃のわたしは「輝きの海へ」というロマンティックな吹奏楽曲が大好きで、この曲の雄大さから漠然と、島影のない外海に憧れていたのもあるかもしれない。でも今思えばこの曲のフルートのキラキラにわたしが見出していた海の風景は、明らかにただ島がないヴァージョンの瀬戸内海だった。
つまり外海の波というのは、相当凪いだ日でもない限り「うさぎが跳ねよるみたいなが」どころじゃないのだということをよく知らなかったのだ。日本海ではよく泳いでたんだけどな……。

何もない田舎の岬でただ海を見て、帰る。学生の時、一人あるいは誰かと何度もやったその行い、そのとき見た海の記憶が、今になってやっと光を反射するようになったのだなと思う。

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