kiyozo
第15代.第16代OPBF東洋太平洋スーパーミドル級チャンピオン清田祐三のボクシングについて
その日は、いつも通りバイトを終えて、夜にジムへ行く 「お願いしまーす!」 会長「おぉ!デビュー戦の日にちは11月21日のうちの興行でやるからね!!」 「はいっ!宜しくお願いします!!」 2002年11月21日にプロデビュー戦の相手が決まった 島田 健志選手(ワタナベ) 相手が決まり、その選手がどんなボクサーなのか? そんな事より、【俺がKOで勝つ!!】と思うようになりましたぁ 朝のロードワークの時も、バイト中も、もちろんジムワークの時も 【俺がKOで勝つ!!】と思い続
プロテストに合格して、 プロボクサーになったと言うより、デビュー戦して初めてプロボクサーになれる気がしていて まだプロボクサーとは胸張って言えないと 試合をする為にモチベーション高く練習していました 朝起きて赤羽近郊を走る その時は東十条(赤羽の隣街)の環七沿いに住んでいて、警備員のアルバイトをしていました 警備員のアルバイトでは、北区、足立区、葛飾区、墨田区、など各地に行ってました 墨田区両国の現場の時に、生で力士を見てデカい!と思ったり、タクシーに武蔵丸が乗っているの
能登さんが勝利した後、能登さんがデビュー当時から応援してもらっている赤羽の不動産、阿部コーポレーションのご家族を紹介してもらった 阿部さんご夫婦と息子さんのお兄さんが代表を務めている不動産屋さんです 阿部お兄さん「おぉ〜!清田くんだねぇ〜!能登くんから聞いていたけど大きいねぇ〜!」 清田祐三「よろしくお願いします」 阿部お兄さん「能登くんがいつも言っているよ、清田はヤバいですよ!怪物ですよぉ!!って笑」 清田祐三「あはは」 この日から、ずっと阿部コーポレーションさん
かなりご無沙汰しております 現在は2023年4月4日です 先日は根室に行って来ました 根室は先輩の地元です 先輩の能登斎尚さんについて ■ 能登斉尚選手 2004年3月15日のプロボクシングの試合で判定負けした能登斉尚選手(24) =フラッシュ赤羽ジム=が、同年4月2日に硬膜下血腫のために死去していたことが同年4月3日分かった。 日本ボクシングコミッション(JBC)によると、国内で試合中のダメージが原因による プロボクサーの死亡は、一昨年4月の伊礼喜洋選手以来で35人
〒085-0001 北海道釧路市古川町29-10 TEL 0154 32 1002 OPEN 月曜〜金曜 10:00〜22:00(最終入21:00) 土曜・祝日 10:00〜20:00(最終入19:00) 入会金 15,000円 男性 6,500円 女性・学生 5,500円 EBS Group Diet Workout Workout 1人1回1,000円 パーソナル(予約)
プロボクシングの試合 アマチュア経験なしだと、まずは4回戦(4ラウンド)からスタートする その4回戦で4勝をあげると6回戦(6ラウンド)を戦えるようになる 6回戦で2勝あげると8回戦(8ラウンド)戦えるようになり、この辺りのボクサーになると興行のメインイベンターになるケースもある そして8回戦で1勝すれば10回戦(10ラウンド)戦えるボクサーになる 10回戦はほぼメインイベンターであり日本タイトルマッチも10回戦で行われる そして、OPBF東洋太平洋タイトルマッチから世界タイ
プロテストが終わり受験者やその関係者が帰り、入れ替りに試合する選手やその関係者達が現れる なんか、なんとも言えない緊張感 笑い声も聞こえるが、その先には戦いが待っているという感じの笑い声、まぁリラックスしているのでしょう 独特な感じ、、、 でも、その独特な緊張感のある空気が居心地良かった 先輩Nさんは試合当日計量していました この当日計量は目安みたいな感じでしょうか? なんの目安かわかりませんが そうこうしていると、バシッ、バシンッとミットのパンチ音 各選手のウォーキ
続きまして2ラウンド目は 自分と同じくらいか少し背の低い年上的な人 またコミッションに呼ばれて 「次は少し体重差あるからそれなりにやって」 「あっ?はいっ」と、えーっ!?みたいな カンッ!ゴング それなりにやってって?どうゆうこと、、、? まぁ、なんとなくスパーリングは無難に終わり プロテストの合格発表は後々、後楽園ホール控室に貼られるらしく 能登さんの試合応援の為、チケット買わずにそのまま後楽園ホールに居座る。。。 つづく Let's Enjoy Boxin
リングに上がる、リングの中には、レフェリーと相手と自分だけ なんとなく張り詰めた空気 自分より少し背が高く少し年上の20代ぐらいの人とリング中央で向かい合う、間にはレフェリー コーナーへ分けられる コミッション「はいっ!お互い練習通りやるんだぞ!」 カンッ!ゴング まずはリング中央で相手とグローブタッチ(相手と挨拶みたいな感じ) 同じぐらいの体重の人とのスパーリングは初 (今まで自分より軽い人としかスパーリングしていないので) 内心・・・パンチあるのかなぁ!?ドキ
ウォーミングアップをある程度して プロテスト受験者は通路に2列に並べさせられ 向い合った人がプロテストの対戦相手になる 向い合った人は2人いました 1人は自分より少し背が高く少し年上の20代ぐらいの人と もう1人は自分と同じくらいか少し背の低い、少し年上的な人 清田祐三18歳 当時中重量級のボクサーは人数の関係上三つ巴のスパーリングテストでした 同じ日に、同門の同い年のYはスーパーバンタム級でプロテスト受験、先にスパーリングしていました 開始早々にダウンを奪って、あっさり
コミッション「はい、これから筆記テストです」 渡された紙には、パンチの種類、ルールなど、あと尊敬するボクサーなどを解答する欄が ジムで解答は教えてもらったのである程度は書け そして、尊敬するボクサーの名前は[自分]と書きました 筆記テストで落ちる人はあまりいないらしいです スパーリングテストの為、リングのある階へ 能登さん「体重どうだった?」 「力うどん分増えてましたぁ!」 能登さん「、、、笑」 ウォーミングアップですが初めて上がる後楽園ホールのリング リングマットが
プロテストの後楽園ホール 能登さん「まぁ客席で見てるから!サクッとやってきてよぉ!!」 「はい!」 下の階(試合時は選手控室)に降りて、 ザワザワ何十人かの受験者達がいる コミッション「はい!これからプロテストを行います、まず体重計に乗って下さい!」 自分の番が来て体重計に乗る 80kgで申し込んでいた受験番号[22]番の清田祐三 コミッション「はい22番、、、ん!?83kg!?」 「あれ?80kgにしたはずなんですけど、、、」 コミッション「ちゃんと練習した
2002年9月3日後楽園ホール 【プロテスト】 たまたまその日は能登さんの試合でもありました 試合は18:00頃に第一試合開始です プロテストは昼間に行われていたのです バッグにボクシング用品(この時はマウスピース、バンテージ、ハーフパンツ、シューズ、他)を詰めて後楽園ホールへ 初めて後楽園ホールに来たのは上京して間もなく能登さんの新人王予選、見事得意のアッパーでKO勝ちしてた日でした その後、勝ち上がり優勝候補と言われていたルーキーと対戦し、惜しくも判定負け、、、 そ
テレビで見ていたジムのリングでスパーリング 自分と階級の近いプロ選手とのスパーリング 初の出稽古での緊張感、ドキドキ感、そこに少しワクワクを感じていましたぁ その時のスパーリング内容は忘れましたが、、、 宮下会長や、トレーナー達には、「君楽しみだなぁ!強くなるぞ!」と言って頂きこの時からエンジョイ感も芽生えてきましたぁ 練習を終えて、シャワー浴びようとシャワー室へ あれ?銭湯みたいな感じでお風呂もありました(だいたいのボクシングジムはシャワーのみ、たまにサウナついてる
テレビで見ていた通りで、凄い良い設備のジム テレビの中に入ってしまった感覚 その時、スパーリング相手の選手と会いました 金髪で色黒の人 いつもフラッシュ赤羽ボクシングジムで練習してる人達しか見てないから、うちのジムとは色が違うなぁ、、、 と思い 「今日は宜しくお願いします!」 スパー相手「あっ、よろしくお願いします」 沖ジムトレーナー「その辺りでアップして、シャドーはリング使っていいから!」 「はい、わかりました、練習よろしくお願いします!!」 沖ジムの人々「はい
沖ボクシングジムの中へ入る 「お願いします!フラッシュ赤羽ジムから来ました清田祐三です!」 宮下会長「おぉ!プロテスト前なんだろ?宜しくな!」 あっ!あの宮下会長だぁ!!すげぇテレビのまんまだぁ 宮下会長「君より少し軽いけどウェルター級のプロのやついるから」 「はい!宜しくお願いします」 今年度の新人王ウェルター級にエントリーしているボクサーでした つづく Let's Enjoy Boxing