岡村さん騒動に思う 世の中がつまらなくなる理由

久しぶりにnote書くのを再開しようかなと思いました。
書くことの習慣づけは大事かなと。

本題ですが、岡村さんのラジオでの騒動に関して色々と思うことがあるので書いてみたいと思います。(そんな真面目な内容じゃないよ)

騒動の内容に関して知らない人は調べてください。
その中身は対して重要じゃないので。

この騒動見てて思うのは
世の中正義マン多すぎない?
ということ。

確かにコロナに絡んだ少々リスキーな発言ですが、そんな叩くことかと。
矢部さんの岡村さんに対するメッセージもなんだか称賛されていますがすごく強者の意見のような気がして。
もちろん人前に出る人として、しっかりけじめをつけるところを見せるというある種の見せものであることも承知していますが。

人の至らない所を叩くのはとても簡単です。
基本的に人/モノ/アイデアって、完璧なものはなくて、かならず叩けるところはあるから。
こういう業界で働いてるから特に思うことかもしれませんが、
完璧なアイデアってものはなくて、必ず叩けるところはある。
本当に伝えたいこと/目を向けてほしいことはあまり議論にならず、
弱いところを指摘され、修正した結果面白みのない丸いアイデアになる。的な。

岡村さんの件でも、なんかそういう揚げ足とって攻撃するのってつまんない人がやることだなあと思うわけです。
そんなにあなたは倫理観高く生きているのかと。

この騒動があって昔のめちゃイケを見返してみたんですけど面白い。
今のバラエティとはくらべものにはならないくらいに。
そこには確かに倫理的な危うさはあるけど確実に面白いし、なんとなく皆薄々感じていることだと思います。
なんか最近のテレビつまらんなあ、Youtubeのはっちゃけたコンテンツの方が面白いなと。
じゃなきゃレペゼン地球とか絶対にあんなにバズらない。

TwitterなどのSNSが発展して1個人が、世の中に対して広く意見を発することのデメリットがここにあるような気がして。
一般人が簡単に自由に発言できすぎるんですよね。でも、一般人は基本的に意見にフィードバックされることはないからリスクは小さい。対して、著名な人は必ず発信した意見に大なり小なり反響が来るので、どうしても攻撃されない丸い意見を発することになる。
そうした影響力の強い人が丸い意見を発信すると、一般人は潜在的に考えは刷り込まれるので、やっぱり世の中はどんどん丸くなっていって面白くなくなっていく。
つまんないなあと思うわけです。

コロナ禍で強く思うのは、もっと楽にテキトーに生きられる時代になればなあと。


なんか真面目すぎました。
次回は新木優子の魅力について1万字書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?