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無能ということ、あるいは無垢と若さ

さて、とりとめもない話にはなるとは思いつつも、すこし感想をメモしておこうと思う。


というのも、26歳で、4年弱会社務めをしてから、無職になる、というのは、私の経験とほぼ同じだからだ。私は丸4年で会社を一度辞めて、それから1年半の無職状態に突入したのち、辞めた会社に復職している。


それから、自分には何ひとつ確たるもの(承認や実績ではなく能力とその認識である点が重要だ)がなく、誰を、あるいは何を信じたらよいのかさえ、主体性をもって判断(コミット)できない状態が数年間にわたって続く、というのも一緒だ。

当時(というか、20代全般にわたって)、私が鬱だったか、というのは、今ではあまり意味のない区分であるが、外形的にはおそらくそれなりに真だろう。20代の私の酒量は、それなりの水準であったし、私にとってはそのような状態で暮らし続けることが私自身の一種のアイデンティティでさえあった。

そして、会社を辞めて、自身の行為を主体的に構成し、その成果を自身の企図した範囲で評価され、受領される、という状態に満足を覚えており、それを生きていることだと認識している点も、なんというか懐かしく、また微笑ましい。つまりそこでは、納品するプログラムは、最低限、動いてさえおればよく、その作りの筋の良し悪しはベストエフォートでいいのだ。

同様にして、彼が絵を描く行為を続けられるのは、それが比較されないからだ。彼がフリーランスでプログラミングの仕事を請け負えるのは、これも、それが比較されないからだ。そして、比較されないということはようするに、自分自身のペースで作業をひとつひとつ積み重ね、能力ないし自己そのものを拡張していくことができるということである。そこで何が起きているか、そして、それがどのように彼自身の血肉になっているか、これらが彼自身にとって明瞭でありつづけること。それが現時点の彼にとっては、あらゆる社会的ポジションよりも重要なのである。

だから、彼が「文系でプログラマーになったけど」というのは、あえて厳しめにいえば、問題をかなり取り違えている。その意味でいえば、彼はデザイナにもなれなかったのだし、この分だと、おそらく絵描きにもなれない。それよりも外形的には彼は今もむしろプログラマであるだろう。つまり、おそるべきことには彼は今でも失敗することを継続しているのだ。

彼がなれなかったのは、そうではなくて専門家ということなのである。専門家というのは、彼の求めるような文脈でいえば、ようするに、ある特定の分野の思考系統と知識系統に基づいて物事を処理することを、自己同一性の縁(よすが)にするものたちのことである。だから「プログラマになる」ということは、プログラマ的に物事を捉え、プログラマ的に発想し、プログラマ的に行動する、ようするに、プログラマ的に寝起きし、呼吸するということである。すなわち、自身の全人格的にプログラマであろうとするということで、彼の失敗は「プログラマになる」ということが、そうではなくて自身の付随的な属性に過ぎないという意識から最後まで抜け出せなかったことなのである。彼のような(そして私もそうだが)スキルの低い人間というのは、そのように自己を抹消することでしか、専門家には決してなれない。だが彼はおそらく生来の、あるいは学生時代を通じて築いてきた自身の行き方というものを最後まで捨て去ることができなかったのである。

適性がない、あるいは、何にもなれない人間というのは、ようするにそういうもので、現在の社会的に何らかの価値があるとされているような行き方と自身の人格とを、あるレベル以上に一致させることができない、あるいはする必要があるという自覚のないものたちのことである。この点がとくにクリティカルになるのは、人ではなくモノないしコトに対して取り組む(つまり物理世界の制約によって、達成と未達成がゼロイチで判定可能な)職業に従事する場合で、なぜそうなるのかといえば、結局のところ、世界は自分の思いとは無関係に一定の規則に従って動くからだ。だから世界に対してある一定の水準の変化を得ようとすれば、そのためには、ある一定の水準の一連の動作を、ある一定の精度と時間内に為す以外にやりようはない。そこに個人の思いというものが介在する余地はなく、それがあるのは、ただ、そのような動作のセットを為すことができるようになるまで、一定の訓練なり学習なり意識改革なりをする際の効率なりモチベーションのほうなのである。

プログラミングにまつわる抽象的思考がはじめからできるものなど実際にはいないが、このような惰弱な性向しかものたぬものにあって、それができるようになるためには、これまでの自身の人格を破壊して、プログラミングなる行為体系に強制的に自身をフィットさせていかなければならない。何を信じたり、何を良しとしたり、ということばかりではなく、そこから何を感じとるべきか、という感受性の部分まで、プログラマにならねばならないのである。プログラマがおしなべてTシャツを着て、ジーパンにスニーカーを履くのはそういうことなのだし、他の職業についても服装等の傾向性が表れてくるというのはそういうことなのである。

だから、何ものにもなれなかった彼が、ひとりでコードを書いたり、絵を描いたりすることで精神の安定を得るというのは至極当然のことである。ようするに、彼はまだプログラマとして雇用されたり、あるいはデザイナやグラフィッカーとして雇用されたりする基本的な準備ができていないのである。その職業が必然的に帯びている傾向性に従って自己を作動させることができるような状態になっていないのだ。

だから、彼の言うところの「プログラミング入門の仕方に失敗した」のは、それがなにか自身の外で行われるものであるかのように見ていたからだろう。私だっていまだに「継承って?」「インターフェースとクラスって何が違うの?」「認証と認可の違いは?」「ポートって何?」「仮想化って?」ということに完全に答えることができない。これらの問いは、笑いごとではなく、ほんとうに、すべて難しい。理解したなど、口が裂けても言えない。
それから「プログラミングを覚えてから何をすればいいのかわからない」のは、プログラミングにはプログラミング固有の律動があり、プログラミングそのものが目的でさえあるということを彼自身が理解していないからである。つまり、その先に見えるものが見えないのは、彼がそれが見える位置にまで自身を移動させていないからなのである。ある対象領域の外野にいるままで内的運動を把握することなど、どんな天才でも不可能である。だが、彼はそうできると(おそらく今も)思っている。おそるべき錯誤である。


今の彼に必要なのは、自分を維持したまま何ものかになれる、という、このたいへんな思い上がり、思い違いから抜け出すことだ。私たちのような無能には、そのような道は不可能であり、先人が確保してくれた行き方をなぞることでしか、自身にも有意な何ごとかが為せることはないと心の底から知らねばならない。いま自由に暮らしている彼は、いつになるかはわからないが、最終的にはこの現実を見出すことだろう。そしてそれは、自分が独力で発見したり、編み出したりした何かというもののおそるべき陳腐さと、実際にはそれさえも決して独力ではなかったのだという峻厳なる事実を認めざるをえない、という形で成されるはずだ。すべてはそこからである。

そして、彼はプログラミングに戻ってくるだろう。私がそうであったように。なぜなら、今更、他のところに行くには、彼はもう年をとりすぎているし、プログラマになりすぎているのである。そして、プログラマはひとつの専門職として十分なものなのだ。


ちなみに、私が私の書いたプログラムを信じることができる、つまり自身がプログラマだと知るようになったのは、28歳のときである。それは私個人の認識としては、私が完全に消え去って死んだ日というかたちで記憶している。そのとき、私は私の書いたプログラムがどうしても完全に動作せざるをえない状態になったことを、ひじょうに大きな恥辱とともに受け入れたのだった。そこで私は私というよりはむしろ名を持たぬひとつのプログラマとして名指されるべき存在にすぎなかったというわけだ。


そして、そのとき書いたプログラムが私の生涯で最高のプログラムである。30代を通じて、私はその更新を目指したが、結局果たされることはなかった。その意味ではプログラマとしての私というのは、そのときがピークで、以後は出がらしである。

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