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【あんこ×HSPとの出会い②】

こんにちは。あんこです。
今週はお天気がいい日が続きましたね。
気温が上がって、コートを春物に変えました。
桜味のお菓子や飲み物が増えてきてきたり、
お花屋さんで桜の枝が売っていたり…
視覚でも味覚でも春を感じられますね😊

さて、先週に続いて今回は
「あんこと私のHSPの出会い」
について時系列でご紹介したいと思います。
私個人の経験になってしまいますが、

・私が「生き辛さ」を感じ始めた時
・一番辛かった高校時代
・「HSP」との出会い、向き合えなかった過去
・ホステスの仕事を通して感じた「HSPと向き合わないと」という気持ち
・HSPと向き合って変わったこと、楽になったこと
・あんこの今日のまとめ

を紹介したいと思います。
ゆるりとご覧くださいませ✨

【あんこが「生き辛さ」を感じ始めた時】

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まず、私が感じる「生き辛さ」について説明しますね。
具体的に言うと、

・人の気持ちを深く考えてしまって疲れてしまう。
・自分のやりたいことが世間の「普通」と違っていて認められない
・でも自分がやりたいこと以外やりたくない、興味が全く持てない
・そもそも、「なんでやらなきゃいけないか」理解できないとやらない

などです。
簡単にまとめると

「自分がやりたいことをやりたいが、人の目が気になったり気持ちを理解してしまうから”いい子”でいようと気持ちを抑えてしまう。」

状態でした。
”いい子”というのは多くのHSPさんに当てはまることだと思います。
案の定、私も小中学校の時は「優等生」でした。

・勉強もスポーツも頑張ってた
(水泳では関東大会出場、テストは学年で常に20番/300人以内)
・クラスのリーダーを任されることも多々
・親や先生に怒られないように従順に振る舞っていた

こんな感じです。
絵にかいたような「優等生」ですよね(笑)
このとき、私はどちらかというと
”やりたくてやっているというよりは、親や先生に認めてもらいたくて頑張っている”
と言うような「承認欲求」を満たすために頑張っている感じでした。
私の価値は

自分が認めて欲しい人に褒められるその人が望んでいることを提供すること

で決まっているのだと無意識に思っていたのだと思います。
そして、高校受験の時大きな挫折を味わいます。
それは、志望していた高校にすべて落ちたのです。
確実に受かると言われていた高校でさえ落ちてしまいました。
そして志望校より大きく偏差値のおちた高校を再受験をし、無事合格。
合格発表当日、塾の先生に言われた言葉が今でも忘れられません。

「高校受験は失敗したけど、大学受験は頑張ろう。薬学部とかなら…」

私はこの言葉で、
「ああっ、私は”失敗”したんだ。先生を親を満足させられなかった。
今まで努力してきたことも、高校受験の一回でなくなってしまうのだ。」
と感じました。そして、
「そもそも、なんであの高校に行きたかったんだろう。
なんであんなに頑張ってたんだろう。」

と疑問を持つようになったのです。

【一番辛かった高校時代】

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スタートは暗黒の高校時代でしたが、学生時代はとても楽しかったです。
ここで出会った友人たちは今も私の大切な仲間です。
そんな中、またあいつが近づいてきました。
「大学受験」
です。
ここが私の人生の中で一番辛かった時期です。
高校3年生の秋、進路選択を提出しないといけなかったのですが
私は空欄で提出して怒られました。(笑)
やりたい事、行きたい大学がなかったのです。
先述したように、”私は自分がやりたい事以外はやりたくない”
性分だったので、目的もなく勉強するのが苦痛でしかなかったのです。
高校受験の時に気づいた
「自分は何のために頑張るんだろう。」
という疑問から解放されておらず、再度この壁にぶつかったのです。
しかし、前回と違うのは
”親や先生に認めてもらうために自分がやりたくないことはしない。”
と決めていたことです。
でも、高校生。親や大人の意見は絶対でした。
母は私に、
「4年制の大学に行きなさい。2年制と専門学校は許さない」
と言い放ちました。そこから私と母の戦争状態です(笑)
私は、

・通わせてもらっていた予備校を無断欠席、退塾
・学校の無断欠席
・夜中にプチ家出
・母と喧嘩の末、家中のものを投げ散らかす
・センター試験受験拒否


と数々の荒行をしました。
いまとなっては笑い話ですが、当時は
「誰も私の事をわかってくれない。」
と孤独と怒りと虚しさでいっぱいでした。

学校に行かず、神社に行って日が暮れるまで泣いていたこともありました。
結局は両親が根負けし、私は卒業後学校に行かずアルバイトを始めました。
一旦は落ち着いたように見えた母との関係も、確執はいつまでも残っていました。

【HSPとの出会い、気づかせてくれたのは母だった】

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高校卒業をしてアルバイトとして働き始めて1年後、
母が1冊の本を私に渡してきました。それは
「敏感すぎる自分を好きになれる本」
でした。そして、
「1回この本を読んでみて。そして少しで共感できたら北海道のこの本を書いた先生のクリニックに行かない?旅行もかねて」
と提案してくれたのだ。
今思うととても勇気のいることだったと思う。
そして本を読んで、共感の嵐だった。
(HSPの特徴は前回の記事で紹介しています!)
「私は、このHSPってゆう気質持った人なのかもしれない。」
と思って、母に
「北海道いこっか。」
と伝えた。

北海道の帯広にある
「十勝むつみクリニック」
の長沼 睦雄先生にみてもらいました。
帯広の自然のなかにあるクリニックでスタッフの方もとても優しかったのを覚えています。
診察中、私は今までの経験を泣きながら話しました。
そして長沼先生に、

「HSPは病気ではありません。生まれ持った気質で、才能でもあります。
この気質とどうやって付き合っていくか一緒に考えましょう。」


と言われた時、
「私は変じゃなかった。わかってくれる人がいたんだ。」
と安心しました。

しかし、私は自分自身がHSPと認めたくない時期がありました。
それは、
「自分は弱い人間じゃない、敏感なんて言い訳しちゃいけない。」
と”いい子ちゃん”が出てきてしまったのです。
そしてHSPという存在、自分自身がそうであると認識していましたが
あまり真剣に向き合うことをしない時期が続きました。

【ホステスを経験してHSPと向き合わないといけないと感じた】

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長沼先生と話してから約1年、私は銀座のホステスになりました。
その当時、海外に留学に行きたくて留学資金をためるためでした。
この時の経験で、
「私はHSPと真剣に向き合わないといけない」
と思ったのです。

ホステスは接客業です。
接客業の中でも、

・お客様の顔色を見て話す
・お客様が望んでいることの1歩先を読んでサービスを提供する
・常に笑顔
・失礼なことを言われても優しく対応しないといけない


など、「感情労働」と言われる部分が多いいお仕事でした。
「お金のため」と割り切って働いていましたが、
日々、”心の疲労”が蓄積され疲れ果てていました。
そんな時、ふと
「長沼先生の本、もう一回読もうかな」
と思い立ったのです。
疲れきっていた私は、ずっと拒んできた
「自分は敏感である」
と事を認め、楽になりたかったんだと思います。
再度本を読んだとき、すっと心が楽になりました。

【HSPと向き合って変わったこと、楽になったこと】

ホステスの経験から、HSPと真剣に向き合い自分のこととして理解しはじめたことで一番変わったことは、

「自分を許すことができるようになったこと。」
そして
「人の期待に応えるために努力する必要はない。
他人の評価は私自身の価値に関係がない」

ということです。
・人と話して疲れて家で何もやる気がしなくてもしょうがない
・人の気持ちがわかっちゃうから気にしすぎるのもしょうがない
・人が望むことをしなくて失望されても私のせいじゃない
等、常に他人からの評価が気になって頑張っていた私にとってこの考え方は革命的でした。

そして、疲れている時や気分が落ち込んでいる時は
「今日人と沢山話したからなぁ」
「イライラした人の近くにいたら、感情もらっちゃたな」
と分析できるようになりました。
自分がなんでその状況になっているか理解できると
とっても楽ですよ~。

【あんこの今日のまとめ】

最後までご覧いただき、ありがとうございました!
あんことHSPの出会い・向き合うまでを書きましたが、
いかがでしたでしょうか?😊
もし、いま昔の私と同じ状況の人がいるのであれば少しでも助けになればと思っています。
もしくは、自分の近くに同じような人がいるときは優しく声をかけて、
ただ話を聞いてあげてください。
HSPさんは自分が理解されないと思っているのです。
だから、話を聞いてあげて
「そっかそっか。」
と話を聞いてあげるだけで理解者がると安心します。

最後の章でHSPと向き合って楽になったと話しましたが、
今でも頻繁にすっごく落ち込むときや仕事の帰り道に疲れすぎて泣くことも多々あります。(笑)
それでも、私はHSPという繊細さや敏感さは神様からもらった才能だと思うし、大切にしたい気質だと思っています。

次回は
「HSS型HSPとの出会い」
について書きたいと思っています😊

それでは素敵な一週間をお過ごください🌸
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