漫才コンビのトーク番組
近時、よく芸人のトーク番組をよく見る。
過日、某漫才コンビ2組のトーク番組を見た。漫才コンビは、漫才ネタを作る人と、作らない人がいる。片方が100%作って、もう片方は演ずるだけ、というパターンもあれば、片方がたたき台だけ作って、あとは二人で相談して作り上げると言うやり方もある。しかし、報酬は、作る側もそうでない方も同額、折半のようである。
ネタ作成者が、心血を注いでネタを作っている間に、片方はお酒を飲んだり先輩と遊んだりしている。場合によっては、そうやって業界人とつるんでいるほうが、仕事という意味では良いことも多く、ピンの仕事が来ることもある。
その現象に、ネタ作成者は大変な不満を抱いている。その番組では、ネタ作成者の不満ぶちまけトークがさく裂していた。曰く、「ネタ受け取り側なんだから、もっと遠慮しろ!」「ネタを作っていないのだから、漫才師といって偉そうにするな!」「打ち上げも一緒に来るな。スタッフと行け!」などと言って盛り上がっていた。
不満があるなら、報酬にネタ作成料を入れて、例えば55:45とかにすればよいのではないかと思うのだが、若いころから一緒にやってきたコンビが多いので、報酬は折半というのがこの業界の慣例のようである。
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そうやって盛り上がっていたのだが、途中でトーンが変わった。ネタ作成者のほうが、「でも俺、最近考え方変えたんすよ」と言い出した。
・つい最近まで、この現象に不満で不満で仕方がなかった。
・しかし、ある時、俺は自分の報酬の半分を相方に渡して、それで漫才を演じさせていると思うようにした。
・自分には、やりたい漫才がある。その漫才をやるには、この相方は最高のパートナー。なので報酬の半分を渡して演じさせている。こう考えて納得することにした。
・要は、やりたい漫才があるかどうかだ。
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なるほどねー、と思った。
同時に、多くの会社人が同様に考えることができると、もっと良い人生を送れるし、良い社会になるだろうに、とも思った。
会社員である以上、自分の処遇や評価に不満を持つことがある。しかし、この会社でやりたいことがあるなら、処遇条件なんて気にせず、やりたいことに邁進すればよい。期待する報酬より低かったとしても、やりたいことをやるための必要コストであると考えれば、納得できるかもしれない。その会社が、やりたいことをやるためのベストなステージなのであれば、そこで頑張るのがベストな選択であろう。
逆に、真にやりたいことがないのであれば、さっさと辞めて、やりたいことをさせてくれる会社に行くか、自分でやるほうがよいだろう。そのほうが人材の適正配分になる。
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大学院の講義(教えるほう)で、「私は金融マン財務マンとして、世間的に優秀と言われるかどうかはわからない。もっと長く経験し、深い知識を得ている人はたくさんいる。ただ、財務マンとして修羅場をくぐったということだけは自信を持って言える」と言っている。
あのとき、私の処遇や評価が真に妥当だったかどうかはわからないが、いわゆる「仕事の報酬は仕事」という考えに立てば、じつは莫大なる報酬を受け取っていたのかもしれない。
(かつてはよく言われていた「仕事の報酬は仕事」論は、近時のブラック企業忌避の流れで、あまり言われなくなったようである。往時茫々である。)
『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。