墨東 2020年3月12日
多分、これが人生最初の吟行でした。
玉の井、東向島。高校生の頃から大好きな永井荷風の『濹東綺譚』の舞台を歩きました。
荷風は東京の探求者でした。
わたしは東京市政百周年の生まれなので、父方の祖父より「京子」と名付けられました。然し、父親に反発的だった我が父は、平凡でつまらないと、「響子」と出生届を出しました。そのせいばかりではなく、父方の祖父母はどこか遠い存在でした。
ともあれ、わたしは東京の子です。
父の仕事の関係で、十才から高校卒業までを九州、福岡で過ごしました。荷風に出逢ったのはその頃です。東京の香りに惹かれたのかも知れません。
生まれは目黒区青葉台。墨東には縁もゆかりもありません、残念ながら。大学進学から東京の練馬辺りに暮らし、東京の東側は知らないままでしたが、俳句がわたしを連れ出してくれました。
行きたい場所に、きっと詠みたいこともあるだろう。詠めない人の安易な発想ではありますが、創作のはじまりは歩くことだと思います。
行きたい場所は墨東でした。遅まきながら聖地巡礼です。
◇ 墨東の路地にカレー香春夕焼
◇落椿踏まずに上がる二階部屋
◇ひとつ影さみしき春や向島
吟行句があまりに酷いもので、当時を思い出しつつ詠み直しました。
もう2年近く経つのですね‥。そろそろ、また行かねばなりません。
◇春まだか荷風の背中追ひかけて
お読みいただき、ありがとうございました。
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