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■まんが哲学入門

イラストがとってもかわいい、まさかの講談社現代新書。たまにはこういうテイストもいかがでしょう。

◆時間論

過去も未来も、それ自体、存在しない。存在するのは「いま」という土俵でしかなく、過去も未来もその「いま」という土俵の上で想起されるものでしかない。

-と言ってしまうと、身も蓋もないように思いますが。

ただ、過去も未来も存在すると実感として“確信”されるのは、「生きよう」として次の一歩を踏み出すための地盤が必要とされるからである。

-うーん、深い。

◆存在論

「ある」とは何か。それは「存在物を存在させるはたらき」という土俵の上で、生成と変化と消滅をくり返す存在物の状態である。

-え? あ? ん? 「いま」の土俵の上に過去と未来が想起されるのと同じように、存在は「存在物を存在させるはたらき」の上に成り立つ状態ということ・・・。分かったような分からんような。

ただし、「存在物を存在させるはたらき」はあるとも無いとも言えないのである。

-お? え? あ? 

「存在物を存在させるはたらき」があると言ってしまうと、「『存在物を存在させるはたらき』という存在物を存在させるはたらき」を想定しなければならなくなり、無限ループに陥る。かと言って、「存在物を存在させるはたらき」が無いといってしまうと、存在物がなぜ存在するか説明できなくなってしまうのである。

-うーん。

そして世界は存在する。なぜなら、世界が存在しないとするなら、そのことを経験する私も存在しないので、自己矛盾が起きるからである。また、「世界は無であってもよかったはず」と考えるなら世界の存在は「偶然」であるが、「世界は既に存在してしまっている」と考えるなら世界の存在は「必然」と言える。つまり「世界の存在の必然性が偶然に選ばれた」のである!

-ほえーっ!

ただ、世界が存在するとはそもそもどういうことなのか。そのことを考え続けていくうちに、私はいまにも頭が破裂しそうになるのです。

-私も頭が破裂しそうです。

◆「私」論

「他人の心」があったとしても、それを知ろうとすると、常にそれは「私の心」に変換されてしまう。よって、私は「他人の心」そのものを決して知ることはできず、「他人の心」そのものがあるかどうかも知ることはできないのである。

-たしかにそうだ。

しかし、他の人物の向こう側に「他人の経験」が隠されているに違いないという“確信”を持って我々は生きている。それは、その“確信”がなければ、世界はただモノがあるだけの光景となり、その“確信”があるからこそ他人のことを心配したり、感謝したり、怒ったり、愛したり、そういう「かかわり」が可能となるからである。

-なるほど。他人の心があると思わなければ、その他人は単なる細胞の塊にしか見えなくなる、という感じでしょうか。

そして、そのような確信をもつ「私」とは、そもそも一体何なのか。各自が認識する自分としての「私」は個別具体的なものである以上、その全員の共通認識となる概念となる「私」を定義づけることは非常に困難である。<私>とか「独在的存在者」と表現したりするけど、言葉や認識の限界スレスレのところまで来ていると思われる。プギャー。

-と、限界部分を表現しようとしている「私」が存在します。がんばれ「私」。

◆生命論

時間論では「いま」という土俵の上に、過去や未来が想起されると説明した。しかし、ここに「気がついたら生まれていた」という自分、すなわち「誕生」の土俵で考えると「いま」という概念は登場せず、登場するのは「過去」「未来」そして「現在完了」のみとなるのである。

-なるほど。たしかに言われてみればそうかもしれません。

人生の内容は、けっして固定されたものではなく、誕生の気付きのたびごとにたえず過去の人生の末端までリニューアルされていくのです。

-それはすごく分かります。私の好きなジョブスの言葉“Connecting Dots”に通じるような気がします。

たとえ、どんなに落ち込んでいても、たとえこれまでの人生に満足しておらず、こんな人生なら生まれてこなければよかったと思い、生きることに苦しくて仕方がなかったとしても、これからの人生をどう生きるかによって、過去の人生すべてが、まったく異なった人生として一気に見えてくる可能性は、論理的に、つねに開けているのです、死ぬその瞬間まで。
「私はなぜ生きるのか?」という問いに対しては、私は「生まれてきて本当によかった」と心の底から思えるようになるために生きるのである-と答えたいのです。

-哲学入門でこの帰結にたどり着くのがすごい。もちろん、違和感を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが。

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どこか客観的で論理の遊びになりがちな「哲学」を、終始「生きる」ということとの関わりで論じつつも、かわいらしいイラストのマンガで表現された一冊。何度読んでもおもしろい本です。

大学時代の科学哲学の講義で聞きかじった「好意の原則」(principle of charity)とか、キャリア論で聞きかじったサビカスのキャリア構築理論とか。本書と直接関係しないけれど、思い出されるなんてこともありました。そういう意味で、読者それぞれに引っ掛かるフックがある本でもあると思います。



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