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リアコの推しはとっくに結婚していて子供もいた【ほぼ無料記事】

※とてもショックが大きかったので、かなり感情的な文章です。リアコ=芸能人など手の届かない人に真剣に恋をしている、に理解のない方からの批判コメントは受け付けていません。誹謗中傷目的であれば読まないでください。
※この記事では「デミロマンティック」という恋愛指向(セクシュアリティ)が登場します。デミロマンティックの人は、端的に言えば、相手の内面を深く知った上でないと人を好きになれず、恋をするのに時間がかかります。詳しくは過去の私の記事もご参照ください。

約3年間、最大限の時間とお金を注いでいたリアコの推しが、少なくとも5年以上前くらいから結婚していて、子供もいることが判明しました。一般には公表されていないため、私の推しが誰であるか、なぜ結婚しているとわかったかは死んでも言いません。墓場まで持っていきます。正直とてもショックで、さまざまな思考が頭の中をぐるぐると回っています。それを整理するために、率直な思いを書き連ねていきます。

0.大前提

私の推しはアイドルではありません。恋愛禁止というルールもなければ、結婚してるとも結婚してないとも公言していませんでした。なので、推しは何も悪くありません。私が勝手にショックを受けているだけです。アイドルやテレビタレント、いわゆる「芸能人」と呼ばれる人でもない限り、今どき、わざわざ結婚していることを公表する方も減ってきているのかもしれません。

1.何を支えにこれから生きていけばいい?

この3年間、確かに私は推しに支えられてきました。推しに会うために生きていたし、今の推しがきっかけでひとりで遠征するようにもなったし、推しの情報はひとつも逃したくないと思って、すべてのメディア露出を欠かさずチェックしていたし、グッズも欲しいと思うものは我慢せずに買っていました。推しを中心に日々のスケジュールを考えていたし、チケット代や交通費やグッズ代など、今まで推しにいくらかけてきたのだろう、と思うと怖くて計算ができません。
推しがいる3年間、本当に幸せな時間をたくさん過ごしました。推しのおかげで行動力もつきました。ひとりで旅行もしたことがなかったから、遠征中はご飯食べるときも移動中もすべての時間が楽しかったです。心が満たされていました。推しがいなければ、こんなに満たされた気持ちを味わうことはなかったと思います。
学生時代、一度大失恋をしたときにお世話になった臨床心理士の方に、「誰かや何かにすべてをかけてはいけない。その対象がなくなったとき、自分の足で立てなくなるから。人でも、仕事でも同じ」と言われました。いや、わかってはいたけどさ。私には何かにかけないで、自分の足だけで立っている状態というのがイメージできないんですよ。その対象を分散させればよかったってこと?そしたらひとつが崩れても悲しみは少なくて済んだ?世の中の大人は何を心の支えに生きているんですか?教えてください。

2.そのまま推し続ければいいのでは?

リアコじゃない方はこう思ったのではないでしょうか? 私は、リアコじゃない方、推しがいながら現実世界にパートナーがいる方に問いたい、なぜ両立できるのでしょうか?? リアコと推しが一致しないパターンもわかります。でも私はその場合は、人を推しているというより、作品を推しているという感覚が近いです。この人の作る曲がものすごく好き!という場合は、リアコではないですが、その人自体にあまり興味がありません。ライブに行くことはあっても、グッズ購入などあまりお金を使うことはしないです。熱烈なファンだけどリアコではない人がどういう感覚なのか知りたいです。もし、先に結婚しているとわかっていれば、ファンはファンでもここまでお金は使わないし応援の仕方が違っていたと思います。

3.なんで隠してた?

いや、隠していたつもりはないのでしょう。そんなに売れてない頃に結婚して、わざわざ発表することではないということでここまで来たのでしょう。でも、そこまで有名ではない人でもちゃんと発表している人はしています。もちろん事務所の方針もあると思いますし、プライベートは隠したいタイプだと言われたらそれまでなのですが、もし結婚していることがわかったら、ファンが減るかもと考えているのなら、それはずるいと思ってしまいます。
あざとい(個人の主観です)オフショット載せたりとかして、「かっこいいです!」「かわいいです!」、過剰な場合だと「結婚してください!」みたいなコメントもついているけど、どういう気持ちで見ていたのだろう?写真、多少なりとも狙っていないか?と思うのですが、普通の人は推し=リアコとはならないから、真っ当に需要を満たしているんですかね。
最初から、作品だけで判断してください、と突き放すタイプのスタンスならこちらもそういうつもりで応援していたけど、どちらかというと人間性もしっかり見せて、作品と地続きになっているタイプに見えたから、よりショックは大きいです。
人様の旦那様に、人様の父親に、写真見て「この角度かっこいい!」とか「目があって嬉しい」とかひとりでキャッキャしてたのが本当に恥ずかしいです。最初からわかっていれば、もっと違う形で応援をしていました。
推しが頑張って稼いだお金、当然推しが幸せになるために使ってほしいと思って喜んで課金していましたが、養っている家族がいるんだって考えると、なんだかとても複雑です。後悔はしていないつもりだけど、もっと自分に投資するべきだったかなという考えが頭をよぎります。いや、その瞬間は、自分がいちばん幸せになれる選択だったから、かけたお金や時間が無駄だとは思いませんが、先に教えておいてくれたらよかったのになって思います。

4.推しは家庭を築いて真っ当に生きているのに

私はデミロマンティックという恋愛指向で、人を好きになりにくいです。中3〜高2にかけてもリアコの推しがいましたが、それまで恋をしたことがなく、その当時は「自分おかしいのではないか?」と不安になって、推しに似てる人を探せば好きな人ができるかも!と発想を変えたところ、高3で初恋をしました(私的には推しが初恋だけど)。それからは、頑張って身近に好きな人を作ろう、推しは分散させて広く浅くにしよう、とずっと心がけてきました。
でも、好きな人を作ろうとすることにとても疲れてしまいました。社会人1年目のとき、「デミロマンティック」という言葉を知りました。そのときに、恋愛経験の少ない自分を肯定できる気がしました。もう好きな人を「探す」のはやめよう、と心のままに生きようと決めて、好きになったのが今の推しでした。だから、もういい大人だけどリアコでいいやって、開き直ってました。結婚していると知るまでは。
どうせ叶わないなら、相手が結婚しててもしてなくても一緒じゃない?と思われるかもしれません。でも、推しはちゃんと家庭を築いて仕事も頑張っていたと思うと、急に自分がみじめに思えてきました。「デミロマンティック」という言葉で自分の恋愛観を肯定できていたはずななに、尊敬している憧れの推しと自分を比べてしまいます。違う世界に生きている人だとはわかってはいたけど、本当に違う人種の人間なんだなと絶望的な気分です。
デミロマンティックで、人をあまり好きにならないくせに、そんな自分を一旦は肯定したはずなのに、恋をして、好きな人と結婚して、というのに30手前にもなってまだ憧れているのだと思います。一度も誰かと付き合ったこともないのに、そんなのもう絶望的です。でも、結婚するために結婚するのは嫌です。結婚自体には憧れません。潜在的にまだ恋に憧れているんです。若いときにもっと頑張ればよかったですか?どうやって?とても不適切なことを書いてしまいますが、それならいっそアロマンティックがよかったと思います。たまにしか恋しないのに、そんなときに限ってこんな辛い思いをしないといけないんだったら、恋愛感情なんていらなかった。

5.多忙の裏には支える人あり

フェミニストの笛美さんなどがよく仰られていますが、今の日本の社会って、どちらか(多くの場合は男性)が朝から晩まで働いて、どちらか(多くの場合女性)が家のことをしなければ、食らいついていけない社会です。私も激務で家事が疎かになりがちで、本当に厳しい戦いを強いられているなと日々思います。推しはサラリーマンではないですが、日々全国を飛び回ったりたくさんの媒体に露出したりしています。それで子供もいたんだ、やりたくても育児も家事も何もできないだろうな、と余計なお世話ながら思います。もちろんエンタメという特殊な世界だし、働き方を非難するつもりなんてまったくありません。私が勝手に推しもひとりで頑張っていると思って、勝手にすごく尊敬していました。推しがあんなに働いているんだったら、もっと私も頑張らなきゃと思っていました。そんなわけなかったんです。手品にはタネも仕掛けもあるよね、そりゃそうだよね、とタネ明かしされた気分です。

6.推しもマジョリティ側の人間

4と5と重複する話ですが、推しのような人間になりたいと、推しが心のメンターでもあった私は、思いっきり突き放された気分です。結婚していたから、あの落ち着いた雰囲気を纏っていたのだな。あんなに優しくて、人間的に素晴らしいのは、やはり人生が満たされているから、心に余裕があるから。あ、私には無理だ。とてもじゃないけど真似できない、参考にならない。自分のアイデンティティを喪失してしまいました。
おまえが決めるなという話ですが、40くらいになったらさすがに結婚してもらってもいいかな?と勝手に思ってました。なんとなく、超人気俳優なども40超えて結婚したり、みたいなイメージが勝手にありました。勝手なことを言っていると思いますが、それまでは夢を見させてほしかったです。
若い頃からとっくに結婚していたなんて、本当に真っ当な人生を歩んでいるなと思います。何もかも手に入れているではないか。「持てる者はますます富み、持たざる者は更に失う」的な。
結局そういう人に憧れているんです。優しくて気が遣えて、人あたりがよくてコミュニケーション力があって、みんなに愛されてて、まっすぐな心を持っていて心もお金も余裕があって、キラキラした世界で活躍していて。全部真逆です。ないものねだりです。やっぱり選ばれた人間で、私のような凡人とはまったく違うのです。そんな当たり前のことに、今になってショックを受けている私は、ただの阿呆なのでしょうか。

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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。