「価値観をすり合わせるのが恋愛」という考えに対する違和感|デミロマンティックの私に見える世界
「恋愛ではお互いに歩み寄ることが重要」と耳にすることがよくある。
歩み寄りは、人間関係においてたしかに重要な気がする。
仕事でチームのみんなが同じ方向に進んでいくためには、意見を出し合い、最終的には誰かが、あるいはお互いに歩み寄る必要があるように思う。なぜなら一つのゴールに向かって進まないと、会社という組織は成り立たなくなってしまうからだ。
でも、恋愛のこととなると、歩み寄ってほしいという感情が正直よく分からなくなる。だって、相手のこと好きなんでしょ? 好きなのに、直してほしいところがあるの? と、頭の上に疑問符が浮かぶ。
デミロマンティックを自認する私は、相手のことを深く知ったうえでようやく恋心を抱く。付き合った経験がないくせに、と言われそうだけど、相手に対して「思ってたのと違う」となることは、私にはないと思っている。
歩み寄ってほしいということは、相手に対して好きになれない部分があるということになる。歩み寄ってほしいほど好きになれない部分のある人に、私なら恋心を抱くことはできないだろう。パートナーの愚痴(惚気ではなくてガチ)をぶちまけつつ、それでもなお関係を維持しようとする感情が、どうしても私には分からないのだ。
この感覚の違いがすごく分かりやすく表現されていたのが、お笑い芸人のEXITさんの動画だった。普段こういう恋愛系の動画とか観ないけど、兼近さんにめちゃめちゃ共感したのでシェアしてみる。
上に抜粋した兼近さんの発言がその通り過ぎて、言語化してくれてありがとう、と思うほどだった。
こういうところが好き、こういう面もあるけどそれは私は気にならないから問題なくて…とトータルのバランスで私は人を好きになるので、(他人からの評価はさておき)私の中では一般的には欠点とされるような部分も含めてそのバランスにおいて完璧人間だから好きなのである。不完全さも含めて私の理想の人だから、何も変えたくはない。嫌だと自分が感じてしまった瞬間、自分の人を見る目がなかったんだな、と思ってしまう。変わってほしいなんて、そもそもそんな発想がない。
見た目とか、直感で人を好きになれる人は、そういうすり合わせが必要になってくるのかもしれないとも思う。もちろん、そういう恋愛を否定するつもりは全くないけど、デミロマンティックの私が共感するのはなかなか難しい。
恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。