私がデミロマンティックなのは、アダルトチルドレンだからなのか?|デミロマンティックの私に見える世界
※この記事はデミロマンティック/デミセクシュアルの原因がアダルトチルドレンだと言及する記事では決してありません。あくまで私の個人的な想いや生きるうえでの葛藤を書いたものです。
アダルトチルドレンと向き合わなくてはならない時が来た
アダルトチルドレン(以下:AC)・・・親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。(Wikipediaより)
前から薄々気がついていたけど、私はACにとてもよく当てはまる。ACにもいろいろタイプがあって、私は「ロストワン」と呼ばれるタイプだ。ロストワンにはたとえば以下のような特徴がある。
目立たない・存在感(影)が薄い・いるかいないかわからない、などと言われがち
人前で話すことが苦手
消えたい・存在を隠したい、などと考えることがよくある
自分の意見や価値観を主張するのが苦手
自分で判断することができない
自分に期待する気持ちはない
昇進したい、リーダーになりたい、などとは全く思わない
人と関わることが苦手。できればずっと放っておいて欲しい
居心地の良い環境を疑う(どうせまた捨てられるんだろ、など)
感情がジャマだと思う。感情なんてないほうが楽に生きれるのに、と思ってしまう
参考:ACC Osaka
私は虐待やネグレクトを受けたわけではないが、過干渉な親の元に生まれるとロストワンになってしまう人もいるようだ。
この中でも、4・8・9の性質が私は気になった。基本的に一人でいるのが好きなので、そもそも恋人がいないと寂しいなんて思わないし、その面倒くささを越えるほど強い感情を抱かなければ、頑張って人と関わろうと思えない。
また、恋人関係になり、結婚も視野に入れるなら、赤の他人と一緒に暮らすことになる(週末婚や別居婚という選択もありだが)。自分の意見を主張するのが苦手だから、主張しなくても元々価値観の合う人を無意識的に探しているのではないか、と自己分析することもできる。
こういった性質がなくてもデミロマンティックの人はいるし、デミロマンティックは単なる恋愛指向のひとつなので、直さなくてはいけないという類のものではない。ただ、私の場合はACの特性が影響を及ぼしているのではないかという疑問が浮かんだのである。
今後、デミロマンティックとは逸れてしまうかもしれないが、なぜACになってしまったのか、幼少期の思い出から振り返って行こうと思っている。
恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。