見出し画像

統計学で人を好きになることはできるのか?|デミロマンティックの私に見える世界

大半の人は、一体何を言い出したんだ?と思ったに違いないが、デミロマンティックならではのこの仮説に、少しだけお付き合いいただきたい。

デミロマンティックは、人を好きになるのに時間がかかるし、恋愛感情を抱く頻度も少ない。だから、恋をしたときには、なぜその人を好きになったのか、徹底的に深掘りしてしまうクセが私にはある。特に、学生の頃は好きな人を見つけなきゃと謎の義務感に駆り立てられていたし、高3でようやく初恋を経験できたのは、当時推しと似ている人を探そうと思ったことがきっかけだった、という成功体験(?)もあるので、自分がどういう人が好きなのかを、とにかく細かく分析しようとしてしまう。

サンプル1:推しの芸人、サンプル2:高校の同級生

高校生のときに推しだった芸人さんは、とにかく優しい性格の持ち主だった。優しいと言っても、ただ穏やかで柔らかい人というよりは、利他的な人、という表現の方がしっくりくる。これは今でも最も優先度の高い好きな人の特徴である。
ほかにもその芸人さんの特徴を挙げると、常識人で学歴とは別ベクトルの賢さがあり、少しひねくれていて毒舌だった。(誰だかお分かりいただけただろうか…)
私はこれ以上魅力的な人に人生で出会えることはないと思い込み、それならばせめて似た人を探そうと思い立った。そして、3年間クラスが一緒だった同級生に共通点を見い出したのだった。

ただそのときは、相手はどういう人がタイプなのか、というところまでは考えられていなかった。推しの芸人さんが挙げる好きな女性のタイプは、強くて芯のある大人な女性だった。初恋の相手が目で追っていた人も、しっかり者で自分の意見をしっかり言えるような女の子だった。

サンプル2.5:同じサークルの人、サンプル3:大学の同級生

次に恋をしたのは3年半後くらいだった。しかしこれに関しては今となってはなぜ好きだったのかが全く説明できない。たしかに頭は良い方だったと思うが、おそらくマニアックな趣味の話ができる人に初めて出会って高揚しただけだと思われる。これはサンプルとしてあまりふさわしくない。
次に好きになった人は、まさに利他的な人だった(というか、この人を好きになってから、優しい→利他的な人が好きなのだというより正確なチューニングができた)。そしてとにかく頭は良かった。好意は向けてくれていたけど、いろいろな事情やタイミングなどのせいもあってうまくはいかなかった。

サンプル4:推しのギタリストソングライター

社会人になってからは好きな人がいないので推しもサンプルに加える。というか、恥を忍んで言えばリアコなのだけど。まぁそれは置いといて。
まずは利他的な人であること、もう言わずもがなの絶対条件だ。そして、サンプル1との共通点に気づくのだが、リベラルな思想の持ち主である。リベラルさは、恋愛感情だけではなく友達関係や職場の関係においても、すごく重視しているのではないかと、高校生のときは気がつかなかったが最近では強く自覚している。むしろ友達には、利他的であることよりリベラルさを求めているような気がする。利他的な振る舞いは、私自身がそんな風に振る舞えていないから尊敬・憧れの対象となり、リベラルな思想は私がそういう考えの持ち主だから、共感・気の合う人という認定が下される。
そして推しギタリストには人間としての頭の良さを感じる(これはリベラルさに起因しているものなのかもしれない)。積極的に政治的な意見を発信するような人ではないけど、Twitterのいいね欄とかを見ていると(痛いオタクの鑑)、社会問題への関心の高さも感じられる。

実は、このギタリストが属しているバンドのことはかれこれ4年前くらいから好きだ。こんなに素晴らしい利他的な思考に溢れた歌詞を書く人のこと、これまでの統計に基づけば好きになっていそうなものなのに、何故全くときめかないのだろう?という非デミロマには到底理解できない訳の分からないことを考えながらライブ映像を観ていたこともあった。そして当時まだデミロマを自覚していないので私自身もこの感覚は意味不明だった。
にわかファン歴4年目に突入しそそうな頃、とある新曲が表面張力を壊す最後の1滴となり、好きな気持ちが突然コップから溢れ出して、すっかりそのギタリストの強火オタクとなったのである。

そして厄介なことに、その人の好きなタイプは「陰のオーラを放っている人、影のある人」なのだそうだ。自意識過剰もここまでいくと大変におめでたいのだが、自分が当てはまっていると思ってしまった。確実に好きになる人の精度が上がってきていると思った(頭お花畑オタク)。

ここでサンプル3の話に戻るが、私はなぜこんなに完璧人間が私に好意を向けてくれているのかが全く理解できなくて、その自己肯定感の低さのせいで関係を崩してしまったのだ。
しかし、サンプル4の好きなタイプを雑誌のインタビューで知って、そういう需要があるのかと謎に合点がいったのだ。
同じ時期に、これはまた別のバンドのインタビューで、「学生時代に転校してきてクラスに馴染めなかった女の子を連れて校内を案内してあげて、そんな自分がカッコいいと思ったりもして」という発言を聞いたことも拍車をかけて、あぁ世の中にはそんな需要があるんだとパラダイムシフトが起きた。男子はもれなく1軍の女子が好きなんでしょ?と斜に構えていた中高生の頃の自分を後悔したりしなかったり。そういえばどうしてこの男子は私にやたらと話しかけてくるのだろう、みたいなことあったな。どうせからかってるだけでしょ?って軽くあしらっちゃってたけど。

サンプル候補:職場の同僚

今日の本題はこれだった。だとしたら前置きが長すぎるが。
また自意識過剰案件かもしれないが、最近職場の同僚から好意を向けられているような気がする。そのせいでサンプル候補の存在が異常に気になっているのは紛れもない事実だ。しかし結論から言うと、サンプル候補に対する恋愛感情は現時点では0だ。そもそも、私には0か100しかない。50くらいの感情の機微に気づくことができるのなら、試しに付き合うなんてこともきっと容易だし、交際経験のないまま20代後半を迎えていないだろう。

ただ、マイナスだとは思っていないのだ。これまで出会った人には非常に失礼な話だが、私に好意を向けてくれた人の中にはマイナス値判定の人もいた。そういう人に対してはいわゆる女性らしさを一切出さないようにして、逆アピールをした。自分で言うのもなんだが、好きな気持ちを伝えるのは苦手だけど、逆アピールはめちゃめちゃ得意。
サンプル候補はマイナスではない。今までの統計データと照らし合わせてみようとする余裕が自分の中にある。一緒の職場になって2年弱だから、共に過ごした時間の長さ的には申し分ない。性格はたぶん良さそうだし、そういう視点で観察していると、利他的さを感じる場面もあった。好きなタイプも、元カノとの別れ話を聞かされた限り、乱暴な表現をすれば恋愛経験少なくてちょっとだけ闇抱えてる人が好きなんだろうなと察しがついた。それで別れたのならその好きなタイプ貫いて大丈夫か?とは思ったが。人の恋愛嗜好にとやかく言うのは余計なお世話だ。

でも現時点でいろいろ想像してみても、どうしても付き合う面倒臭さが勝ってしまう。やっぱり好きな気持ちがなければ、乗り越えられそうにない。
サンプル4のときと違って、なぜ好きにならないのだろうという感覚さえない。私の心は頑丈な耐熱性のタンブラーみたいだから、今感情の水がどこまで注がれているのかパッと見で分からないし、感情の水がいつになったら溢れるのか、そもそも好きになる日が来るのかどうかさえも全く分からない。でも、マイナスではないことだけは分かるから、とりあえず話しかけられたら、せめて良い印象で受け答えするようにはしている。

このまま泳がせておいて感情は本当に育つのだろうか。今は推しに夢中なのだけど。統計と照らし合わせる日々がまだまだ続きそうだ。

〜補足〜
ちなみに、サンプル3も4も、第一印象はあまり良くはなかった。良くないというか、いかにも1軍で友達いっぱいいます!みたいな感じで、私とは関わることのない異文化交流案件だと思ってた。実際は1軍というより、1軍に属してはないけど一目おかれてて、誰とでも仲良くできるタイプという感じの人だと思う。そういう意味では、サンプル候補の第一印象は、「あ〜いかにも1軍〜違う世界の人だねオッケー了解」って感じだった。いい加減偏見持つのやめろ、自分。

〜さらに補足〜
嫌悪感じゃなく、劣等感を感じるってことは、きっと少なからず仲良くなりたいなって気持ちが潜在的にあるんだろうな。だって1軍は1軍でもパリピ感あったら拒絶したくなると思うし。。
こんな風に、どんどん自分の気持ちを掘り下げています。

この記事が参加している募集

多様性を考える

恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。