デミロマンティックは自分の恋愛感情にも他人の恋愛感情にも鈍感なのか?|デミロマンティックの私に見える世界
デミロマンティックは人を好きになるのに時間がかかる。私の場合はよくこの例えを使うのだけど、コップに最後の1滴が注がれて水が溢れるまでは、相手に対して好きな気持ちがここまで募っていたことに全く無自覚であるのだ。
そして最近思うのは、デミロマンティックの私は自分の恋愛感情のみならず、他人から向けられる恋愛感情にも気づきにくいのではないか、ということ。
一番印象的だったのは、学生時代に臨床心理士の方と話をしていたときのこと。当時好きだった人に「靴可愛いね」と褒められたという話を無自覚にしたら、「よっぽど女の子慣れしてない限り好きでもない人に靴可愛いね、とは言わないよ!!」とツッコまれたことがあった。冗談ではなく、目から鱗で、じゃああの時の人も私のこと好きだったのか…?などとプチパニックになった。
恋愛経験のなさが招いた事態と言えるかもしれないが、他人の恋愛感情に共感できないことも原因の一つのような気がする。
関係の浅い人に関しては、時間的に私のことを好きになりようがないと考えてしまうので、まさか私に好意を向けていると夢にも思わないし、果たしていつ好きになるタイミングがあったのだろうと不思議に感じてしまう。
そして、デミロマンティックという恋愛指向を押し付けるつもりは全くないものの、そんなに簡単に「好き」と言える恋愛感情は本物なのだろうか? 軽い気持ちで付き合うから、みんなすぐ別れたり浮気だなんだという問題が発生するのではないか? と、どこかで考えている自分もいる。
お互いの価値観をすり合わせて歩み寄っていくのが恋愛だというけれど、私の「好き」のハードルは高いから、好きになったときには全てが好きで、だからもし浮気されたり、嫌なことをされたりしたら、私の見る目がなかったんだなと思って、きっと冷めてしまう。
逆に、相手に「こんな人だったと思わなかった」とか思われるのは悲しい。ちゃんと私のことを分かったうえで好きになってよ、と望んでしまう。
お互いがお互いをよく知ったうえで付き合うのが理想だけど、とてもハードルが高そうだ。
恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。