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7/26〜8/1

7/26
22:06
SNSにゲネ写真をアップする前に全体グループに載せて確認を取るというフローになっておりけっこう恥ずかしい
→7/29 09:42追記 このフローはなくなった!

7/28
14:35
「フートボールの時間」から、自分の芝居で誰かを喜ばせることを考えるようになった。それまでは演劇は自分が自分である手段でしかなくて、今もそういう部分はあるけど

ツアー公演で各地をまわって、その土地その土地で観た人たちがくれた言葉

自分が発することばで誰かが感動してくれるのはずっと偶然だと思ってたし、稽古中の偶然の産物として出てきた感情が擦り切れるのを待つように芝居をしてた気がする、けどそれをコントロールできるという感覚を得始めている し、自分はことばをお客さんに届けられるってことを信じてもいいと思えるようになった

7/29
09:36
いつかツアー公演で長崎に行きたい(福岡でも可、福岡ならけっこういけそうな気がする、長崎はなんか、夢)

6/30の日記より 私は基本的には「俳優としての技術が適切に評価され、それで衣食住がまかなえる状態」になれればいいと思ってる
けど大きなメディアに露出したら長崎にいる父親とかじいじに見てもらえるし、見てもらいたいし、喜んでもらえるかもしれないとか思うときもある(母は東京にいる、ばあばはもういない)
これは売れたいという感情かもしれない

09:44
いなくなってから大事にしたいと思っても意味ないよ、届かないし

ふと気になって日記の閲覧数を見てみたら50〜100くらいだった そんなに見んな

7/31
11:46
たまになる咳喘息、今かよというタイミングで朝から病院に行き予約なしだったのでかなり待った 直で駅に向かおうと思ったがハンコを忘れていて家に戻らなきゃいけない、ぐんと漕いだところで自転車のチェーンが外れる(!)バタバタのへとへとで劇場に向かう、こんな日でも演劇が始まったら演劇をやらなきゃいけない 本当は最寄りの薬局で処方してもらった薬を買いたかった ていうか薬を手に入れられないんだったら一生懸命病院に行った意味なかった かなしい

11:50
走れば間に合うかも

17:23
公演中止。体調不良の人のことより、中止になってしまった千秋楽のことより、自分もしかしたらコロナかも8月働けないかも、が頭をよぎってしまった、もう一回病院に行って陰性で本当によかった

こんなん書かなければ誰にも何もバレないのにね、何がしたいんでしょうか

中止に際した座組みの人たちの態度、コロナかも連絡をしたときのパートナーの返事、美しすぎてどうしたらいいか分からなくなった

17:42
冬に自分が主催する公演のことを考える。リスク、リスク、リスク、リスク、誰に頼まれずとやっていることであって実際なくても誰も困らないのだから、起こること全てを飲み込む覚悟がないのであれば主宰なんてやってはいけない、と思っている、そんな思想を持っているのにこんなに弱ったれで、自分で自分を追い詰めてることは分かっている、あんな風に居られるだろうかと考えている

7/31
19:26
結局熱を出してる 辛い

8/1
10:00
公演中止、楽ステやれなかったことより、見たいと思ってたのに見てもらえなかった人がいることが悲しい お客さんの方が胸にぽっかり穴が空いているかもしれない

14:24
コロナだった、なってみると結局悲しいとかしんどいとか不安とかあんまり分かんなくて、聞いた時はなんか、ぽかん、って感じ。ずっと咳をしていて頭がぼんやりしている
公演中止を聞いた時も最初はぽかんで後からじりじり不安が来た、ような気がする、走って劇場まで行ってぼやぼやした頭で、ぽかんと座っていたような気がする

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