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12:48
思ったことをぽいぽいと書いてそれをnoteに投げるということができないかと思って書き出してみる 続くかはわからない
移動中やトイレとかお風呂とか、ぽんと1人になった時にくるくると考えることを、何かの形で出力できないかなと考えて
稽古場に向かう途中、すでに電池は37%
最近始めた仕事の上司が、自分や相手の、充電が減ってるのかバッテリー自体が摩耗してるのかを見極めることが大事だと言っていた iPhoneの設定でそういうのが見れるらしいですよ、アンドロイドでも見れるのかしら

13:14
昨日の読み合わせ後3号さんから、とあるキャラクターは悪魔的であるという解説があった。悪魔は何の意図もなく状況をかき乱す。

作中には"願いを叶えるクジラ"が登場する。主人公の京子はクジラを神の使いだと信じているが、誰の願いでも叶えてしまうのなら、そこに意図が存在しないという意味では悪魔的な気がする。
どうだろでも、悪魔の行為には「状況をかき乱す」という目的があるけど、クジラがただひたすらに願いを叶える存在なら、悪魔よりもさらに純粋な(?)ランダムさ、公平さを持っている、やはり悪魔とは質の違った存在かもしれない

私は特定の宗教を持っていない。この世界を作った神のような存在はいるかもしれないと思っているけど、その神が人間にとって都合の良い救いを提供する存在だとなぜ信じられるのかは理解できない

何かを信じることによって発生するえげつないパワーがある いつかその感覚を腹から理解したいと思う気持ちと、そこを覗くことを恐ろしく思う気持ち

13:33
でも神様って信じてる人にとってはそんな大袈裟な感覚じゃなくって、単なる事実のような感覚なのかもしれない 例えば私が、腰を下ろせばお尻が必ず電車の座席で受け止められる、すり抜けて地下へ落ちて行ったりゼリーみたいにぐにゃっとなったりしないと「信じている」ように

18:44
稽古後は頭がぼんやりして何も考えられない 今日は雨が降ったからなおさら たくさん映画を観たり本を読んだりできる人がわからない 最近はあまり演劇も見れてない ニュースは正直全く見てない
では何を見てるのかというとツイッターとかどうでもいいような漫画、もうちょっと元気があれば読んだことのある小説
少し頭も痛い

18:51
ももちの世界は、「皇帝X」の時もそうだったけど今回の「日曜日のクジラ」でも、3号さんは大量の参考資料を読み込み、取材にも行き、一言一言に意図を込め、つまり戯曲の背後に膨大な情報量がある。話を聞いてるとおもしろい、し、本当にすごいなと思う

私はだいたい全ての現場で台本しか読まない (読めない?)他の人は資料を読んだり題材となった場所に行ってみたり、色々しているように見えて不安になる 稽古場に行くだけで精一杯の自分が

台本を読み、電車の中でぼんやりと考えるだけ 台本も覚えちゃったらあまり開かなくなる何回も頭からお尻まで読むみたいな顔してるけど

18:59
それで許してほしい、と思ってる 甘え?

19:06
誰に許されたいのか?

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