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11:53
最近読んだ本で引用されてておもしろかった話。人は、あらかじめ枠組みを持って世界を認識している。例えば、焚き火に顔を近づけて、熱いと感じるとき、私たちは「炎に近づいたら熱い」と考える。これは、「炎に近づくと熱い」「炎は熱い」といった認識の枠組みを私たちがあらかじめ持っているからである。もしこの枠組みを持っていなければ、「炎に近づいた」「顔のあたりが熱い」と感じるだけで、2つの事象を結びつけることができない。
この枠組みが人間特有のものか、生得的なものか後々の学習で身につけるものなのか、それらはそもそも論じられていないのか、忘れてしまった。大事ポイントだと思うので帰ったら確認しなきゃ

全ての出来事や感覚が、因果関係で結びつけられずバラバラに切断された世界はどんなものだろうと想像する

12:31
もっと力を抜いてSNSをやりたいと思ったときにツイッターの文字制限が辛い インスタはめんどくさい tiktokとかthreadとか分からなすぎる これ以上増やさないでほしい
本当は全部やめてしまいたいけどそういうわけにもいかない
そういうわけにもいかない、って自分で勝手に決めてるだけだけど

15:46
仕事終わり ぼーっとする お腹が空いた
最近甘いもの欲がすごい 最近とかじゃなくてずっとかも

16:02
あたまがおもい
日記始めて3日目、なんだか仄暗いことばかり書いてる気がする この日記によって思考が仄暗くなるスパイラルに陥っているのだろうか だとしたらけっこう危ない?のか?

16:27
人といることはとてもエネルギーを使う 人といることでエネルギーが補充される人もいるらしい
今の仕事は教育関係で、出勤するとたくさんの高校生と大学生と、とにかく会話をする。終わるとぐったり疲れてる 楽しいけど 稽古後の疲れにちょっと似てる
人とたくさん会うとこんなにもぐったりとしてしまうのに、なぜ演劇をとか思うことあるけど、結局は程度の問題で、人と居る時間もひとりでいる時間も、誰にとってもある程度は必要なのかもしれない

つまり人と居るのが好きかどうかと私が演劇をやってることは、多分そんなに関係がないということ

16:59
「違国日記」を最近読みはじめた 言ってしまうとこの日記も違国日記の影響ではじめた!
物語や勉強することが、「必要」で、それは匿ってくれる友人のような初めての違う国に連れて行ってくれるようなというくだり
高校生だった私には、劇場や小説や、歌うことはそうしたものだったけど、今はどこかに匿われる必要性をあまり感じない、そして演劇が違う国ではなくて自分の国だと感じる、そうであり続けてほしいと思う

登場人物たちの語りも過去形である だんだんいらなくなるのだろうか いらなくなるっていうか、まきおとか塔野さんを見てるともっと、自分を隔離するための手段だったものが、自分が自分の人生を決定する力を得ていくにつれ、生きることそのものと結びついていく感じ?

20:50
枠組みの有無について、その人が論じた時は人間には当然あるものと思われてたけど、今では産業があらかじめ受け止められ方が決まっているものを人間に差し出していると書かれていた。おもしろ〜人間以外の生物については記述がなかった

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