タイトルとかない

松尾さんの訃報をいただいたのはSNSでの投稿より少し前で、近しい関係にあった人の死は初めての経験ではないので、私は私を落ち着かせる方法を知っているつもりで、甘いものを食べたり、目の前の課題をこなしたり、毎日やると決めたことをやったり、人と会って、笑ったり、普通の日々を過ごしていました。

松尾さんが自死を選んだことを知った時、頭を殴られたような重い衝撃があって、悲しいとか悔しいとか怖いとか、たくさんの気持ちで動けませんでした。今普通に、朝起きて用事をこなして夜は寝て、楽しいことがあったら笑って、ってできてますが、ふとした瞬間に揺り戻ってくる気持ちはまだぜんぜん生々しいです。

何かもっとできることがあったのでは、と思います。すべての言葉はもう松尾さんには届かない。今私は自分の気持ちを整理するためだけにこの文章を書いています、だって今、何を言ったって自己満足にしかならない、祈っても祈っても何の意味もない(ように思ってしまう)

松尾さんの死と劇団献身で松尾さんが受けたパワーハラスメントを安易に結びつけて勝手に物語を作り上げるのは失礼だという意見を見かけました。その通り、その通りですごく正しいと思う、私たちが松尾さんの死について語ることは全部が生きてる人たちの勝手な推測です。だけど私は、松尾さんがPTSDに苦しんでいたという事実を、松尾さんの死について考えてしまう時、見ないことはできないです。一度連絡したっきり私は何もしなかった。

この世には暴力があって、それで人は簡単に死んでしまうんだって、知ってたつもりだったけど、今回のことでそれは自分にとってすごく生々しい現実になりました。私が今幸せで虐げられることなく創作に携われているのは途方もない確率の偶然でしかなかったんだろうと思うとこれから演劇を続けていこうと決めた気持ちが萎んでいきます。劇場に行く時、もしこれが誰かの尊厳を踏みにじって作られた作品だったらどうしようって頭をよぎらなくなるのはいつになるんだろう。

松尾さんの死に対して何か言葉を紡ぐことに躊躇いや罪悪感があって、消費してるんじゃないか冒涜なんじゃないかって思ってしまって、多分実際そうなんだろうけど、どうにも気持ちが溢れてきてしまうし、こうして言葉にすることでやっぱり心が整理されていってるので、書いたものは消さないことにしました。

ムシラセで私は松尾さんの明るさに随分助けてもらいました。人見知りで内にこもりがちな私に、よく話しかけてくれました。うまくいかないシーンを成立させるために一緒にたくさん考えてくれました。「瞬きと閃光」で松尾さんのお芝居を観に行くのを本当に楽しみにしていました。ずっとずっと忘れません。もう何を言っても届かないけれど。

私が何か、これから誰かを死なせないためにできることがあるんだったら、それを見つけたら、自分のできる限りの力を使ってやりたいと思っています。

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