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#読書の秋2022 #自分の意見で生きていこう byちきりん

自分の意見で生きていこう 「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』ちきりん/ダイヤモンド社

この本を一言で表すなら、「情報が飛び散らかる混沌とした現代を、シンプルに生きるための羅針盤」という表現がピッタリだと思う。

なぜなら、羅針盤が船の進むべき方向を示すように、私たち現代人が飛び交う情報(=人の意見)に振り回されないで生きていく方法をこの本は具体的に示してくれているからだ。

①正解のある問題か?それとも、②正解のない問題か?

①正解のある問題の例は分かりやすい。学校の教科書に書いてあるような問題だ。特に数学がそうである。答えは唯一無二であり、誰が説いても同じ答えになる。
理科の実験も「結果はどうなるだろうか?」といった問題の出され方をしているが、結局のところ答えは教科書に全て載っている。要は、調べればわかるような問題のことである。

一方、②正解のない問題は、自分で結論を出さなければいけない。
結婚した方が良いのか…?転職はした方が良いのか…?
本書にはこのような例が示されている。
つまり、その人が考えて決めることであり、絶対的な答えはない。あるのは個人の意見だけだ。

このように、まず目の前の問題を正解があるのかないのかで判別する。
①正解のある問題に自分の意見を言っても仕方がなく、②正解のない問題に答えを探し始めても永遠に時間が過ぎていくだけなのだ。
本書にはそのことが、たくさんの例とともにわかりやすく解説してある。

“学校的価値観”からの脱却

”学校的価値観”とは著者のちきりんさんが命名したもので、「あらゆる問題には正解があると思い込んでしまう価値観」のことだ。

私は、公立の中学校で11年間教員をしていたが、今振り返ればそのほとんどの期間を、この「正解があるという前提」で物事に向き合っていたのだと思う。反省を含めて2つ事例を示したい。

進路に悩む受験生

私が中学3年生の担任をしていたとき、生徒から「私にはどの高校が合っていると思いますか?」という質問を何度も受けたことがある。
これは、まさに②正解のない問題である。この世に絶対的な答えがあるわけがない。
しかし、まだその判別ができなかった頃の私は一生懸命その生徒の質問にこたえるべく、いくつもの近隣の高校の情報を調べては悩んでいたのだ。
保護者を交えて面談をしても、これという答えが出るわけでもなく時間だけが過ぎていっていた。

この場合、本来担任がやるべきことは・・・生徒自身に考えさせ、現時点での自分の意見を表明させることではないだろうか。そのための対話を繰り返し行い、生徒自身の想いや大切にしたい価値観を言語化させるのだ。
これを粘り強く続けるうちに、生徒は自らやるべきとや、受験したい高校を見つけ出して、自ずと前へ進んでいく。最後に担任をしたときには、それを意識して生徒と関わることを心掛けた。

“学校的価値観”が染みついている生徒は、自分の進路先についても、担任が答えを知っていると思い込んでしまっていることがしばしばある。
まずは、教員自身がそのことを理解し、問題が生じた際には①正解があるもんだいなのか?それとも、②正解のない問題なのか?を常日頃から判別することが大切なのだ。


「校長の言うことは正しい」という間違い

学校における、校長の発言力はすさまじいものがある。
職員が練りに練った提案も、校長の一言で覆ることもあれば、ほとんど思いつきのような意見で出された提案でも実行されることはよくある。

もちろん意思決定をする会議において、意見が分かれた際には最終決定をするのは校長であって間違いはない。
しかし、多くの学校職員が勘違いをしているのが「校長の言うことは正しい」という、“学校的価値観”の浸透がここでもまた垣間見れるのだ。

公立学校の場合、企業のように業績の悪化が組織の存続に直結するようなことはない。意思決定後にどのような結果が出ても学校自体がなくなることはなく、仮に失敗をしても来年度には地元の小学生が入学をしてくる。このため、意思決定後の分析や振り返りがされなかったり、行われたとしても形骸化していることが多い。

会議における最終決定の前段階では、出席者の意見は、校長であれ一般の教諭であれ私は同じ重さの一票であると考える。そこに、年齢や役職は関係ない。教員1年目であっても堂々と意見を表明してほしい。ベテランや上司の顔色をうかがう必要はない。
様々な意見がテーブルに並べられて、そこから取捨選択をしていき、最終的に校長が決定するだけだ。校長の言うことは正しいのではなく、決定権を持っているだけだ。それ以上でも以下でもないのだ。
これを見落としては、学校組織は活性化しない。”学校的価値観”から教員が脱却できないのだ。

学校の役割、先生の仕事

かつて、行動経済成長の時代に見られたような、性能の良い物を安くたくさん作る社会は過去のものとなった。多くの人々が、既によい商品やサービスを手に入れられている。また、テクノロジーの進歩が加速して、世の中が求めるものも急速に変化するようになったからだ。
言われたことを、忠実にこなせば成果が出せる時代ではなくなり、今や会社の経営陣も何を作ればよいのか?どんなサービスを提供すればよいのか?という問いに明確な答えを持っていない。まさに、②正解のない問題に向き合っているのだ。

そのような時代にあって学校ではいまだに、“より早く”“より正確に”教科書の問いの答えにたどり着いた生徒が優秀とされがちだ。
ただそれは、①正解のある問題についてのみ当てはまることだ。
②正解のない問題に向き合うときに、求められるのは自分の意見であり、それはどの教科書や参考書にも載っていないのだ。

学校がこれからの時代を生きる子どもたちに果たす役割を考えると、大きな転換を求められる。
教員が育てているのは生徒の学力ではなく、未来の社会そのものだからだ。“学校的価値観”の沼に子どもたちおぼれさせてはいけない。世の中にあふれかえる②正解のない問題に正面から向き合い、情報を精査し、適切に解決できる判断力を身に付けさせることがとても重要ではないだろうか。


謝辞

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
私は、社会を作るのは人であり、人が学び続けることでよりよい社会が作られていくのだと考えます。

ちきりんさんが書いた「自分の意見で生きていこう」が1人でも多くの人に読まれ、“学校的価値観”からの脱却し、堂々と自分の意見を表明できる素晴らしい社会をつくる人が増えることを願います。

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