はつこい

 時子先生の手は暖かい。

発表会の前に緊張して泣いた時もどうしようもなく悲しくなってお稽古部屋で泣いた時も、時子先生の手は暖かった。

時子先生のスカートはとても淡い色でいつもふわりふわりと揺れる。そのスカートに包まれて時子さんの匂いを感じたい。そのスカートは夏のうだるような暑さをかわし夏の美しさをうたっていた。

時子先生と出会ったのは10年前の8月7日。お稽古部屋へ入ると、いつものみすず先生はおらず知らないおばあさんが白黒の鍵盤を静かに叩いていた。一つにまとめ上げられているぱらぱらした真っ白髪、濃い赤の口紅、やわらかくたるんだ頬、くるぶしまである丈の長いスカート、鍵盤を叩く細い指。扉を開けておばあさんの様子をじっと観察した。おばあさんに気づかれるまで、隈なく観察した。

「お入りなさいよ」

心臓をつかむ声だった。

時子先生は、一瞬で人の事を裸ん坊にする。鐘が鳴り響く。彼女と出会ったことは必然で、運命だったのだ。小さな胸が焦がれた。小さなからだが焦がれた。

ピアノの前に座ると、臨時指導員としてしばらくの間、みすず先生が受け持っていた生徒のお稽古を担当するということ、みすず先生は病気で一か月ほどお休みするということ、

「親御さんには連絡したはずなんだけれど、聞いていなかったかしら。はじめまして。沢良宜 時子といいます。」

はじめまして、と小さくつぶやいてみた。

「みすず先生のおけいこではバイエルンをやっていたのか、そうね、じゃあ今練習してる曲を弾けるところまで弾いてもらえるかしら。」

ゆっくりと手を動かして鍵盤を拭き、楽譜を置く場所を整えたことが、さあどうぞの合図だった。

のそのそと楽譜をかばんから取り出し、ページを開いてコトンとピアノの前にたてる。

まだ居場所を定めない、小さい音符たちがそこら中をさまよっていた。部屋の中に響く小さな音は決して譜面通りのメロディーではなかった。譜面通りの強弱、譜面通りのテンポについていくことができない小さな手だった。弾き終わったとき、変な興奮と焦燥がからだ中に駆け巡った。

「ありがとう。

実は、弾いてもらったのだけれど今度からはこの曲ではなくて他の曲をお稽古したいと思っているの」

演奏の感想は一言も述べずにそう言って、大きな袋から一枚の楽譜を取り出して渡した。変わらない先生の表情、かさりと音をたてて両手で手渡される新しい譜面。それは、バイエルンよりも音符がとても小さくてバイエルンよりも音符の量がとても多かった。とても、この年齢、この実力で弾く曲ではなさそうな譜面をしていた。

「もっと簡単なのがいいよ」

「あら簡単よ」

「弾けないよこんなの」

「弾けるわよ」

押し問答は続き、結局弾くことになってしまった。

そして、次の週からは怒涛のお稽古だった。間違えると直ぐに指摘が飛んできて、家で練習してきたのかとなじられる日もあった。けれど、時子先生は静かだった。うるさく怒ったことは一度もなかった。そして、上手く弾けたときも静かで、ひとつ小さくうなずくだけだった。一度も、その小さなうなずきを見逃したことはなかった。

ただ時子先生に小さくうなずいて欲しくて、演奏を聴いて振り向いて欲しくて、必死に練習した。静かな佇まいに静かな指の動き、時子先生の一挙一動を想像しながら弾いた曲だった。

必死に弾いて、完成度はなかなかのものではなかっただろうか、時子先生は、ピアノ教室が開く年一回の発表会でこの曲を弾かないかと提案した。

「発表会が終わればちょうどみすず先生が復帰なさる時期だし、ちょうどいいわね」


発表会当日、時子先生のこの言葉を思い出して、もうすぐ出番を控えたタイミングで泣きはじめてしまった。緊張も相まって涙がなかなか止まらず、周りの大人たちはあわててなだめようとしていたのを今でもはっきり覚えている。

するとどこからともなく時子先生がやってきて、時子先生の手が、小さな手を静かに包んだ。時子先生は何も言わなかった。何も言わず、出番までずっとそうしてくれていた。このまま時が止まればいい。永遠にこの時を過ごしていたい。

「時子先生、

「さあ、出番ね。いってらっしゃい」

「先生、私ね、

「私はね、きょうかちゃんのピアノ好きだよ」

その瞬間、肩を強く押されて私は舞台ににひょこっと飛び出した。

出番。

出番が終われば、時子先生はきっといなくなる。小さくひとつ頷いてくれる先生はいなくなる。


時子先生は私の一か月の時間を静かに取り去ってしまった。時子先生は時そのものだった。

夏になると、時子先生の手の暖かさを思い出す。

時子先生はきっと、とても暖かい人で、そしてきっとだれよりも熱く情熱をかけて生きている人だった、夏に負けないほどに。

明日







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