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加筆修正済【沖縄】移住者凸ゲキレポ外伝~サツキさん編2-2(全2回)~【移住】

こんにちは。キヨリンド地域おこし協力隊@辺戸岬観光案内所です。
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「アーユルヴェーダを日常に取り入れ自然界と調和する」試みをしております。ご興味ございましたらこちらもどうぞよろしくお願い致します。

さて、昨日はふるさとワーキングホリデーで国頭村に来ているサツキさんの語る「国頭村の良さ」について書きました。

お話しを伺えば伺うほど「私が通って来た道と、同じすぎる!!!」と感じました。(気持ち的に。)
本日は、サツキさんがしてきた心の旅。「内観」について書きます。
まず、私なりの内観の解釈をまとめてみました。

キヨリンド的内観の解釈
1、イライラする、悲しい、不安、不満、etc,,,お顔から笑顔が消えていくであろう感情が沸き上がったら、原因を突き止める、紙に書いたり。
2、それにより、共通の憤りの原因になる「何か」が見つかる
3、それにより、自分の思考のクセが判明する。思考は「こうあるべき」などの誰が決めたかわからない謎ルールによって回線が出来上がっているパターンが多いので、気付くだけで「窮屈な思考パターン」が改善されるという期待が見込める。
4、本来の自分の心に気付く

内観=自分の真の心を知る、とでも言いましょうか。私はそのように考えております。
ではさっそくサツキさんの長旅を振り返ってみましょう!

◆「いい子であれ」という教えの中で育った幼少期

サツキさん(以下サ):私は厳格なある宗教組織の母親に育てられました。集会に行ったり家でも聖書の勉強会を開いたりしていました。母はその組織の教えを忠実に守ってました。「場合によっては体罰も辞さない」という考えでした。とにかく母、そして組織の方々にいい子であるように、褒められるように努めました。褒めてこない大人は「なんだこいつ」と思いましたね笑。恐ろしくないですか??笑

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◆「縛り」から解放されることを選んだ10代

サ:そんな幼少期だったので抑圧がすごかった。常に縛りから逃げ出したかった。ずっと頑張ってきましたが限界が訪れました。そして母に「思いっきり反抗した」のです笑。それから集会に行くのも勉強会に参加するのもやめました。私は中学生でその組織の伝道者の資格を得ましたが、それもはく奪されました。スピード出世だったのですけどね笑

キ:伝道者の資格までお持ちだったとは!それでも反抗するとは思い切りましたね笑。十代のころだと従ったままの方も多いでしょうね、、、

◆抑圧が私の対人関係を歪めた

サ:そんな幼少期、10代前半だったので、全ての人をジャッジしていました。「私がこんなに出来てるのに周りはなんでちゃんとやってないの?」と。成功者が偉い、そうでなければ偉くないと見下したりもしていました。
人を見下している自分、ジャッジしている自分が怖くなりました。「私って何なんだろう?」と思いました。私には「無邪気な子供時代」がありませんでした。要領よく、常に人の顔色を気にし、母親の機嫌を取ることに全集中していました。それから、「自分を理解してくれる人」を求めました。探して探して探しに探しました。誰かに幸せにしてもらいたい、安心させてもらいたい、完全に「依存」ですね。全てを外側に求めていました。意識が100%外側。そうなってくると、自分の中身なんか全く見えていません。生活態度も、なんていうのかな、「乱れて」いました。だから、「自分は汚れている」と思っていました。それをクリアにするには「ゼロ」になるしかない=死しかないとすら思いました。ある日突然、今まで仲良く話していた子たちとの関係がつまらなく感じました。それから、全てがつまらなくなりました。そして、少し鬱っぽいなと気が付きました。でもその時はまだ心の旅は始まっていません笑

◆子供が私の命を救ってくれた

サ:生きる意味を持てていなかった私を救ってくれた存在、「娘」に出会いました。妊娠したのです。18歳のころでした。それから娘のことに全力投球しました。しかしここでも「人に認められたい」、承認欲求ですね。それが爆発しました。何でしょう、幼少期から人に褒められる自分でないと価値がないと思っていましたから、自分に負荷をかけるのがクセになっていました。

◆病的なのめりこみ

サ:娘が4歳でぜんそくになったり、後に生まれた息子が気管支炎になったりしたころからマクロビや自然食品にのめり込みました。自分の「ちゃんとしていない部分」を、自分に負荷をかけることによってバランスをとっていました。自尊心の欠如を打ち消すためにストイックになっていました。徐々になのですがちょっと病的だなと気が付いてきました。

◆結婚しようが離婚しようが自分がわからなかった

サ:元旦那さんとも本当に色々事件がありました笑。私が悪いところもありましたし、経済的な理由で衝突したりもしました。アル中みたいにもなりましたし(私がです笑)家に帰りたくなくなったりもしました。この時もまだ私は「外側」に全てを委ねていましたね。「なんで私の事を理解してくれないの?」と。「なんで周りは私を幸せにしてくれないの?」と。そうして、もう一生顔も見たくないと言われるほど元旦那さんとの仲も険悪になってしまいました。離婚からしばらく時が過ぎ、2020年3月ぐらいから精神的に一進一退して仕事も出来なくなってしまいました。そして思い切って元旦那さんのところに頭を下げて居候させてくれないかと頼みました。元旦那さんは、一度は「ちょっと考えさせて」と言いましたが、「母親を助けなかった父親になりたくないから、いいよ。」と受け入れてくれたのです。

そう、そうなのですよね。何かを変えたいときや何かを得たいときは「手放す」必要があるのですよね。
例えばここで「元旦那には絶対にお願いなんかしたくない!!」と、思っていたらどうでしょう?観念を手放せないばっかりに辛い心を抱えたまま本当の心に気が付けていなかったのではないでしょうか。

◆思考のパターンが見えてくる

サ:周りの子たちが当たり前にやっていたこと、例えば誕生日パーティーに参加できなかったりとか、そうすることによって褒めてもらえるような幼少期だったので、「ちゃんと出来てない」人に対してイライラしていました。自分に厳しいのは当然ながら他者にも厳しかったです。自分の期待通りにならないとイライラする。依存しているんですよね、他者に。そうしてずっとずっとジャッジしていたんだなと。自分も他者も従わなくていいマイルールに縛り付けていたんですね。

わ、わかるぅぅぅぅぅ。あれ、あれれ、、私がしゃべってる???笑

◆常に「他者と比較」する自分

サ:とにかく「他者」が気になっていました。「あの人より上」とか、ジャッジしていました。世間一般的に成功者と言われるような人に対して恐縮してしまいそうなのに普通にふるまって演技したり。劣等感を抱いていたんでしょうね。そういう人に相手にされていないと感じると不愉快になってしまったり。なので、自分を大きく見せたかった。出来る自分をアピールしたかった。行動のきっかけが大体「他者」を意識したものになっていました。

わ、わかり見すぎる、、、、今年何度目かの「むちうちになるくらいの激しい同意のヘドバン」を致しました。

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◆とにかく色々見た、試した。

サ:「何もない自分」を愛したかった。幼少期から褒められる私だから価値がある、ちゃんとできる私だから価値がある、そう思っていましたから。
病んでる、と気付いてからはとにかく「自己啓発系」と言われるようなことは端から試しました。youtubeも見まくりました。バシャールとかハッピーちゃんとかスピリチュアルあきこさんとか笑。私が入っていたある組織は、スピリチュアル系に関わることはすべてNGだったんです。
そうしていくうちに徐々に「ありのままの自分で良い、私は誰にも代えられないし変わらなくていい。このままで最高!」と気が付きだしたんです。
しかし、このような感覚に至るまでには3年はかかりましたね。笑。

◆忘れていたことを思い出すことが出来た

サ:そうしてしばらく休んでいくうちに「私は植物を育てることが好きだった!」と思いだしたんです。あとは「物作り」とかも好きですね。
そんなシンプルな事すら忘れるくらい、何をそんなに頑張っていたんだろう?って。
それ以来、好きなことを思い出すことに集中しました。
嫌なことが起こって昔の私の思考パターンに戻りそうになった時は好きなことを思い出す。行ったことのない植物屋さんに行くとかコーヒーを飲んでみるとか笑。そうすると、モヤモヤしていた気持ちの切り替えも早くなりました。「好きな事」に関わっているときは「波動」が上がるんです。思考が止まるんですね。波動を上げるように努めましたね。

もう、むちうちがむしろ治るくらい激しく同意のヘドバンをしています。
私もです。私もずっと忘れていました。旅が好きだったこと、細かい手作業が好きだったこと、そんな基本のキの字、「心から好きな事」を忘れてしまうくらい私たちはいったい何に追われているのでしょうか。。。

◆あの時の私がいたから今の私がいる

サ:離婚もしましたし、人間関係での苦しみもありました。でもそれらのおかげで自分の事を知ることが出来ました。元旦那さんとは現在のほうが関係が良好です。私が旦那さんに理解を求めすぎていたんだと思います。
仲の良い占い師のおじちゃんに見てもらったとき「考えすぎだよ。苦しみの原因は誰でもない、自分なんだよ。自分が楽しんでいればお金だって儲かるんだよ。」っていわれたことがあったんですね。聞いた当時は理解できなかったのですが、今ならよくわかります。
対人関係って、鏡だって言いますよね。自分が相手を見下していたとしたら相手も私を見下しています。まず、自分が変わって見せる。何かを変えたいとき他者は変えられません。変えることが出来るのは自分だけなんですよね。そうしていくうちに相手が変わってくれたとかどうでもよくなってきたんです笑。自分自身が見る世界を変える。それだけです。
沖縄に来たのも、このタイミングだったからよかったのだと思います。昔の観念ガチガチの私だったらこんなに沢山の学びを感じることはできなかったと思います。

は~、、、もう1度激しく同意のヘドバン。

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◆これからの私

サ:私は今、とにかく自分が感じて喜ぶ周りも「喜ぶ」に影響されるハッピーなことが連鎖する沢山の人が幸せになる(これに収入が結びついたら最高)という実験をしています。
私は旅人になりたかった。
だから、なるんです笑。自分のことは自分が喜ばせてあげるんです。
他人は、「子供のそばにいてあげないなんてかわいそう」というかも知れない。でも私は気にしません。私たちはきちんと意識で繋がっているんです。身体的にそばにいる必要がある時期は、過ぎました。だから、私たちは遠く離れていても大丈夫なんです。昔はそんな考え方は全く出来ませんでしたけどね。
自然たっぷりの沖縄は、やっぱり私に合っていました。100%、確定です笑。
あと、ネイルアートはやっぱり好きですね。ありがたいことに私が遠くに行ってしまったら困ると言ってくれるお客様もいらっしゃいますし。
そして、「足るを知る」をテーマにまだ使える服や廃材を利用して何か出来ないかと考えています。
なので、旅人らしく2拠点生活をします!!(断言)

キ:サツキさん、沢山の気付きをお話し下さり有難うございました!

◆まとめ

私は思いました。「過去の傷」を癒せていない人が多い。本当に多い。
私がまさにそれに該当しました。
「昔のことだから大丈夫、もう忘れた」と、無理やり蓋をして見ないようにしていたとしたら要注意。それは忘れてなんかいません。
日常生活でもそうですね。モヤモヤした気持ちを「私さえ我慢すればいい」と蓋をする。
それ、必ず発酵して爆発しますね。酵素シロップ軽く爆発しました笑。
「人の行動が気になるし思い通りにいかないとイライラするし自分も他者も良い悪いでジャッジしてしまう」、これは完全に思考のパターンの仕業です。めんどくさい人は魂自体がめんどくさい人なわけではないんです笑。
そこから抜け出すにはまず「気が付くこと」だけでいい。
少しずつ思考のクセを変えていけばいい。
サツキさんは気が付いた。「変わりたい、変わるんだ」と決めた。
そして本来の魂を見つめることが出来た。
素晴らしい旅のお話しをありがとうございました!

最後までお読みくださりありがとうございました。
アーユルヴェーダやハタヨガについてご質問などございましたらお気軽にお寄せ下さいね。

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キヨリンドでした。







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