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経験不足は不安をまき散らす2-2(最終回)【わたくしごと】

自覚します。子供に対する「それ本当に大丈夫?」は、自分自身の不安の発表会をしているだけだと。

こんにちは。キヨリンドです。「アーユルヴェーダを日常に取り入れ自然界と調和する」試みをしております。ご興味ございましたらこちらもどうぞよろしくお願い致します。

さて、昨日は「自分が得たいと思っていた経験を既にしている人だから尊敬できる。自分が知りたいと思うからこそ得たい回答を得られれば感動する。」という気付きについて書きました。

本日はその2、

「その「本当に大丈夫?」は、自分に向けてる確認事項ゆえに他者に向けるべからず」

について書いていきたいと思います。ではレッツゴー!

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◆子供って

我が息子は現在12歳。中学1年です。特に伏せていたつもりはないのですがnoteには書いていませんでたが息子はいわゆる「障害児」です。
軽度知的障害、ADHD(これ私もだと思います)、自閉スペクトムなんとか。

フルコンボかよ笑

◆ちょっと何言ってるかよくわからない

初めて診断を受けたとき彼は6歳。小学校就学前でした。あまり話さないかな?とは思っていましたが、彼のお父さんはアメリカ人なのでそのせいであまり日本語を話さないのだと思っていました。
そんな時、保育士さんより「療育センターで検査をしてはどうか?」と打診が。
それでも半年ほど検査にはいきませんでした。「何か問題があるはずは無い」と思い込んでいたからです。
結果は「軽度知的障害」。話からの理解と、話しで説明する、ということが苦手で2年ほどの発達の遅れが見られる、と。
もう本当に、診断を聞いたときはまさに「ちょっと何言ってるのかよくわからない」となりましたね笑。
治るのか?一生懸命勉強すれば遅れは取り戻せるのか?etc、、、、
臨床心理士の先生に伺った所、答えは「No」。
治るとか治らないとかの問題ではない、最も良いのは彼にあった学びの環境を与えてあげる事、今の様子だと通常学級だとただただ苦痛でしかないと思う、と教えて頂きました。

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◆必死に心配して先回りしていた

息子が小さい頃は、

・話して説明してもあまり理解していない
・年相応の事が出来ない(ジャンケンとか、徒競走とか意味がわかってなかった)
・話してることが良くわからない

と、周りの人に気が付かれることが嫌でした。
この感情がもうちょっと進むと、外出が嫌になったりしていたのでしょう。
代りに私は

「超心配性で常に先回りでやってあげちゃう系の母」

になりました。相当うざかっただろうな。笑
先生も仰っていたように、彼に合った環境を作ることに気合をいれ、あとはしっかりと見守るということをすればよかったのです。
なのに、心身ともに余裕のなかった私は彼が自分で出来るようにある程度道筋を作り、あとは自分でやってみるようにするということが全くと言っていいほど出来ていませんでした。待つ、とか、見守る、とか、出来ていませんでしたね~(TT)
いつも「時間がない!」と思い込んで、自分を追い込んでいましたからね、、、

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◆だいぶはしょってっ現在。笑

私の心配をよそに、9歳くらいになったころから息子は急にべらべら話すようになり、言葉での説明の理解も充分に出来るようになりました。
意志の疎通が簡単になって、私も精神的に楽になったのを感じました。
彼がべらべら話せるようになったから楽になったように感じていましたが、私がきちんと余裕をもって彼と接していれば話す話さないは関係なかったのだ、やっぱり私が悪い、と今となっては思います。涙
そして現在。
話す言葉や言葉の理解は100%完璧ではありませんが、べらべらお友達と話しますし、オンラインゲーム中に英語で対戦者を煽るような事も話しますし、なによりnoteでも何度か書かせて頂いていますが

息子のほうが私よりしっかりしている

という現状。
あれ?臨床心理士の先生、、、?笑

◆正直、心配してもしょうがないか、と思った

急に精神的に息子が成長したかのように見えますがそうではなく、彼は元から「出来る」のです。なのに私が「失敗するんじゃないか?ああなるんじゃないか?こうなるんじゃないか?」と、心配し過ぎていたから見えていなかったのです。
これを書いたら「ダメ親」と怒られていしまうかもしれませんが、最近息子が帰宅後に話す「今日はこれをやって来た!」を聞くと、ひ~~~~~~!!!!となるようなことがあります。(高いところからジャンプして海に飛び込む、など)
でも、とめないことにしました。
怖いですよ。聞いてると怖いですよ。でも、彼はやりたいのです。
とめたら、

「母親にとめられて従った自分」

が、出来るだけ。

「やってみたら成功した!やってみたら楽しかった!」

という経験を得ることは出来ません。
もう、信じるしかないではないですか?
私たちが子供や大事にしたい他者に対して出来る事って結局は

信じて見守る、いざというときは100%助ける覚悟を決める

とうことだけだと、気が付きました。

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◆それは私の不安発表会

今まで何度も息子に言いました。

・ねえ、それ本当にやっても大丈夫?
・本当に出来る?
・危ないんじゃない?
etc、、、、、

それは、自分の不安を彼に伝えているだけだったのです。

自分には経験がないことを息子がやろうとしている。私には結果が予測できない、だから、大丈夫かどうか不安

これ!もう本当にこれ!!
子供や他者は、自分とは別の人間。
だから、予測不能なことをしようとするのはあたりまえだし、私にその経験が無いのもあたりまえ。
ならば、もう信じて見守るしかない。
自分も散々言われてきたではないか。

会社を辞めるとき
結婚する時(笑)
何か新しい挑戦をしようとするときに

「それ、本当に大丈夫?なんだか心配だなあ、、、」

と、言われても全く有り難くない事を、言われたではないか。
そして盛大に、「ありがとう!でもそのご意見、ノーセンキュー!」と、
思ったではないか笑。
さらに、「やってみないとわからないから大丈夫かどうか聞かれても「わからない」としか言いようがないのですけど????」と何度も思ったではないか。
(そんなに何度も心配されてるのか笑、大人になってから笑)
それを、子供にやってしまっていたんだ!と、猛省しました。

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◆まとめ

最近は全くと言っていいほどいなくなりましたが、以前は周りにいました。

「ドリームキラー」

と呼ばれる、新しいことに挑戦しようとしている人に対して不安要素を大サービスしてくれる人が笑。
あれは、その人にとって予測不能で不安でしかないと判断できる事だったのだな。
あらためて、

不安をなくしたいなら小さい経験をなるべく増やす
予測できないと不安なものは「わかんなくて当たり前」と、予測しようとすることを諦める
やってみないとわからないのだからやる前から不安にならない、そして他者に撒き散らかさない

ということを胸に刻み、ひ〜〜〜〜〜〜!!となりながらも、ギリギリまで息子を見守りたいと思います。

最後までお読みくださりありがとうございました。

あなたあってのキヨリンドでございます。

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キヨリンドでした!





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