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オーシャンを終えて

↑写真は6.3のトロピカルパーティーの様子。
展覧会について文章を書きました。図録に掲載したものです。いつも通りの勢いで書きましたので読みにくいかもですが、以下、興味のある方はご一読くださいませ。

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 今回の作品についてはあまり喋ることがない。解説というより、経緯の報告になってしまう。

 まず今回展覧会をするにあたって、僕は純粋にペインティングというものに取り組むことにした。ペインティングとは矩形のパネルに塗料が乗った物体のこと。大学卒業からしばらくの間、僕はそういうペインティングにほとんど興味を失っていた。というより逃走してきた。卒業制作はペインティングを全くしなかった。大学を出て初めての展覧会「夜」@ubefulでの絵は暗闇で見えなかった。同じくubefulにて2015年「いる」では「キスの絵」、ここでは絵それ自体をハサミで切り取って見せた。その後も、鴨川での展示や、凧上げ、ボールの絵、円相など、まともにペインティングをしてこなかった。理由は気分にある。白い矩形のキャンバス、壁に掛けられた画面を前にしても、何もワクワクしない。描きたくない。飽き飽きしていた。全く新鮮さを失っていたのである。

 そんな僕がどうしてペインティングに戻ってきたのか?理由は二つ。皆が絵を見たがっている。そんな気がしたから。何も僕の絵ということでなく、皆が皆にとってよりよい「絵」を見たがっている。そして絵を鑑賞して何か気持ちの良い気分になりたがっている。何よりも僕自身が絵を欲していた。展覧会を作るにあたって、僕は直感的にそう感じた。そしてそのためにはペインティングというスタイルを取りながらそれを無用のものとさせなければならないだろう、とも思った。もう一つの理由は、アーティスト・ラン・スペース「波さがしてっから」のコウさんだ。コウさんは僕の作品をよく見てくれていた。コウさんがいてくれたからこそ、新作の展示をこの「波さがしてっから」で行えることになったのだ。だからコウさんを喜ばせなければ意味がない、そうも感じていた。

 コウさんが寄せてくださった文章が波さがしてっからのウェブサイトに掲載されている。それを読むと、僕も学生だったあの当時の焦燥や熱量を思い出して胸が熱くなる。ペインティングには人々を熱狂させるパワーがある。中高生の頃、マティスやルドン、俵屋宗達の画集を部屋に広げて眠りについた。大学生の頃に川村記念美術館で見たニューマンやロスコ、モーリス・ルイスの巨大絵画は若い僕の心をギリギリまで高揚させた。小学生の頃は、、絵画なんて見なかったかな?幽☆遊☆白書に熱狂していた。僕という人間は単純だ。全部ミックスすると僕の作品にちゃんとなっている。

波さがしてっからのWEBページ

 絵というのは何だ?一つの答えは、感覚を伝えるもの。こう言えば良いのではないか?音楽だってそうだ。感覚を伝えること、その方法論、それこそが作品であり発明だ。サイ・トゥオンブリーの絵は何が描いてあるのかわからないけれど感覚的にわかる。なぜか?絵を描きながら、絵に全く関係のない無駄な部分だけで成り立っているからだ。絵の具のタレ、や、勢いのある筆致、色彩、すべて主題とは関係がない。その無駄に思える部分こそ、発明であり、感覚を伝える彼の歌声なのだ。

 さてペインティング「オーシャン」に取り組むにあたって。僕はずっと、ドローイングのようにペインティングがやりたいと思っていた。ドローイングは水々しい。なぜか?気分の問題だ。紙のドローイングでは気分よく描くことができた。ペインティングでは全然。なぜだろう?ペインティングとドローイングの違い。それは第一に大きさだ。小さい紙の上ではどこにでも自由に手が届くが、大きいとそうはいかない。サイズと、それから、面の方向。垂直か水平か。これも大きな問題だ。机で描くか壁で描くかの違い。垂直面では筆と絵の具は重力の負荷を受けるが、水平面では最も自然な状態でスイスイと動き、絵は様々な表情を見せてくれた。そして三つ目に、フレーム。僕はずっとキャンバスの厚みがストレスだった。キャンバスというより、木枠の厚みだけど。昔からペラペラに薄くしたくて。なぜかってそうするとフレームが意識されなくなるから。フレームがあると、絵は最終的にコンポジションのルールに囚われてしまう。コンポジションとは「枠」を飾りつけることで、それって「絵」じゃない。ずっと四角い画面という物体から自由にならなければならないと感じていた。

 まっすぐに絵を描こう。そのためにはやり方を常に変え、新鮮な気分を保たなければならない。今回新たに、主に三つの方法を採った。1.水平面で描く、2.長く大きな筆で描く、3.描いてからフレーミングする。透明水彩を使用したのもポイントだ。色が美しく、そしてナイーブな絵の具。水をたっぷり含ませた筆との相性は抜群だ。常に変化し扱いにくいこの絵の具は、描く瞬間を最高にスリリングにしてくれた。コントロールなど端から出来やしない。無常。瞬間的に感じ、動かなければ絵は描けない。そして最後に、木枠に張った後は何も触らない、そこで完成している、ということも決定的だ。垂直な壁に四角い画面が現れた時、もうすでにペインティングになっている。後は、その完成された絵を眺めるだけだ。何と清々しい気分だろう。まっさらな気分そのままの画面が壁に掛けられ胸を張っている!

オーシャン 97 x 130 cm キャンバスに透明水彩
写真 : 奥田さちよ さん

 一連の「オーシャン」については以上だが、”沖縄ロケ”のことも忘れてはならないだろう。

海を求めて沖縄へ 弾丸ロケ日記

実際の海に触れ、さらに絵は流動的になった。無色透明で掴みどころのない本物の”水”へと、そのリアルさをその現象としてキャンバスに残した。「滲み」は波打ち際だ。それは上下左右の平面上へと無限に広がっていくものだ。しかしその「平面」は元々、「水平面」であった。水平、地平。地面に水がたまれば海になり、水平線ができる。10メートルの長い絵「水平線の絵」は本当の水平線だ。スクリーンのフレームの中の偽りの風景ではない。床にキャンバスを転がして自作のクレヨンで地平を走ってなぞった。地平に引いた線だから、水平線の絵。馬鹿らしいけど、ただそんな絵が見てみたかった。宗達の「蔦の細道」だって、そんな気分で描かれてる気がするよ。

水平線の絵 35.5 x 990 cm キャンバスに自作クレヨン 

 小さな作品「ビーチコーミング」について。「ビーチコーミング」とはビーチで漂流物を拾い集めて楽しむ趣味のこと。沖縄で僕もビーチコーミングをしたけど、集中力と根気が必要なレベルの高い遊びだよ。「オーシャン」を描いている時、たくさん絵の具が床の紙へ飛んだり、切断されたキャンバスが出てきた。美しくてとても捨てる気なんて起きなかった。ある時ハサミでチョキチョキ切って、美しい色や滲み、形だけを取り出してみた。ちょうど砂浜から貝殻やサンゴを探し拾い取るように。それから最後にアクリル板に挟んで綺麗に展示した。

ビーチコーミング キャンバス・紙に透明水彩、アクリルフレーム

 展示作品の解説はそんなところ。あと一点、黒板の絵があるけれど、あれは水のパフォーマンスだ。水は黒板を濡らし輝かせた後、垂直面を滑り落ち床に溜まり流れ、日が照り風が吹けば乾いていく。その一連の現象をただ繰り返すだけだ。描けば、絵は無数に生まれ消えていく。水のように、あとは、打ち水。暑い日には水が欲しくなるでしょう。

黒板にウォーターペインティング 244 x 366 cm 

 2015年「いる」@ubeful の時の制作日誌に「このどうしようもない『渇き』を満たすものは何なんだ?」と書いた。それは「オーシャン」だったのかもしれない。やはりペインティングはこうでなくてはならない。展覧会「オーシャン」はペインティングの楽しさをもう一度僕に思い出させてくれた。良い場所での良い展覧会のチャンスをくれた”波さがしってから”のコウさん、熊谷さん、岸本さんに感謝いたします。そして僕のわがままに真剣に向き合ってくださった ubeful gallery okkoさん、ありがとうございました。

 また気持ちの良い展覧会ができますよう。ご来場、ありがとうございました。次の展覧会でお会いしましょう。  

清方

2017年6月3日

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以上です。いい展覧会でした。
このテキストが収録された展覧会の図録はネットから買えますので、写真なども合わせて見たい方はゲットしてみてください。(準備中)

図録には会場の写真、ウォーターペインティングの様子や、作品図版、奥田さちよさんがフィルムカメラで撮影してくれたいい写真も多数載っています。サイズはA5スクエア。フルカラー50ページ。表紙は水平線の絵を描いた自作クレヨンで一冊一冊線を引きました。

いい本ですよ!ぜひ!!またTwitterで告知します。限定20。

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