見出し画像

過去作品解説 part.5 完結編

こんばんは。写真は卒制でつくったキャンバス画のスピーカー、裏はこんな風になっていました。ちゃんと音がなりますよ。いま部屋で飾り棚になっています。  

さて大学4年の夏休みに故郷・淡路島で行った回顧展。その後、僕は作品をつくらなくなります。発表する気がなくなります。大学最後の卒業制作は誰かに美を伝えようとする気がまったくありませんでした。なぜか。

最後の淡路島での個展、そこで目指されていたのは、自分の全てをさらけ出し、人と出会い、瞳を見て話をすること、です。つまり、これって、 美術じゃないんです。今まで美術とは僕にとっては見せかけでしかなかった。もし本当に見せかけその通りなら、そんなものを追いかける必要はない。僕にとって大事なものが変わってきたということです。今まで何も見えてなかった。もっと近くに目を向けなければいけない。普通にひとりの人間として生活をする。様々な人と出会い、誰かと同じ街で暮らす。そんな風に生きるべきだと思ったのです。見せかけの美術はその場所には必要ありません。

「絵画」「美術」「アート」、そんなものはうんざりでした。一枚の絵に絵の具がどんな風に重ねられているか、いったいそんなことがどうして僕の人生に関係があるというのでしょう?全くもって無関係である。誰かの目の前の絵が僕にとって無関係ならば、僕の絵も全ての人には関係がない。関係がないならば、取り繕う必要は無く、作品・対・人のつながりを断ち切り、無関係そのものを示し、「美」の共有不可能性を明らかにしたい。だから卒制ではオナニーのようなデッサンを積み上げ、好きな音楽を流し、カンスト状態(=スコアの上限を振り切ってしまうこと)を作り出す玩具を置いたのです。

ただ、どれもただのひとり遊びに過ぎませんが、展覧会に置かれてしまえば、そこにはやはり美が宿りました。それは白い紙がきちんと積まれているのが美しいとか、紙の上の黒鉛に光が射して銀色に光っていた、とか、カンスト装置のスイッチ音のリズムが心地よかった、とか、スピーカーとiPodを繋ぐ青いコードが白い室内で鮮やかに映えていた、とか、そのようなくだらない細部にです。そこにしか美はなかったのです。しかし、それは、なんでも、その辺に転がってる石やゴミを適当に置いても同じことです。どんなものでも展示室に置かれてしまえば、人というのは美を探すのです。なぜならば、人は美しくありたいと常に願う生き物だからです。物が美しいのではなく、見る人の心が美を欲しているからそう見えるのです。

ちょっと話が散漫になってきましたので戻しましょう。当時なぜそんなに美術に対して厭世的になっていたのかと言いますと、実際問題、つまらないものだったからです。作品ではなく、「美術」という世界がつまらなかったのです。この解説で作品について語るとき僕は何度も「絵画」「絵画的」「絵画になっている」という言い方をしていたと思います。美術や絵画に慣れ親しんでいない方には僕が何を言っているのかたぶんわからなかったと思います。また次回詳しくお話したいと思いますが、絵画とはこうでなければならない、こう見るものなのだ、という大前提が絵画の世界には確かに存在するのです。美術の世界においては、その前提をクリアし、または脱構築させて、新たなバリエーションを提示することが、作品の良し悪しを決定するのです。しかし、その「前提条件」はこの世界ではあえて語らず隠されていることが多い。なぜならば、その前提条件を明らかにしてしまえば、「美」は時代や人を超えて共有出来るのだという美術のロマン、ドラマが崩れるからです。本当は見せかけでしかないことがバレるからです。なぜこの作品がよい作品とされているのか、その理由は実にくだらない、美術の世界だけの問題であることがほとんどなのです。しかもそれを誰もが利己的な理由で隠している。それが美術という厭らしい世界なのです。皆さん騙されてはいけません。

何にムカついていたかと言いますと、美術の世界においての作品の語られ方です。作品について、つまらない人間に上から目線で、つまらない言葉で語られたくなかったのです。支配的な「美術」の中で自分を見せたくなかったのです。もっと人対人の関係を築きたかった。だけど、そんなものはそもそも美術がどうこう出来る分野ではなく、僕自身が自分の生活の中で日常の一個一個をやり遂げていくこと、その先にしか見えてこないことです。だから、美大を出た後、僕は作品発表の機会よりも人との出会いを大切にし、この街で暮らすことを大事にしようとしたのです。人間として当たり前のことですが、僕にとっては特別なことでした。だから、卒業制作はそれ自体「美術」の世界からの卒業を意味していたのです。

しかし、それでも、結局、僕は「絵」を描いていました。そして、自分の絵を誰かに見てもらいたい、という気持ちは消えるどころか強まっていくばかりだったのです。美大卒業後、2回の展覧会に参加させてもらいました。2013年「夜」、そして2015年「いる」。

夜 ▶http://www.ubeful.com/yoru/

いる ▶http://iru.ubeful.com

この二度の特別な展覧会の作品につきましては、それぞれの本に僕のテキストが載っていますので興味のある方はぜひご覧になってください。

最後に、これは卒業してすぐ友人のために描いた絵です。

これにて一旦、過去作品についての話を終えたいと思います。なかなか読みにくかったかもしれませんが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました。さて次の日誌は何を書こう・・・・・・・・・・・・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?