凧と夕ぐれ

今日は新しい凧をつくりました。

「ゲイラカイト」と呼ばれるスタイルです。安定性が高く大きなサイズも上げやすい凧です。今回つくったのは縦1メートル、幅1.6メートルほどの大きさです。作ってすぐ鴨川へ試運転しに向かいました。晴れてはいますが、強い風が吹いています。上げ糸を結ぶ段階からもう飛びそうです。さて手から凧を離すと、すぐに空へと飛んでいきました。

風が強く乱れていたので左右に煽られますが、どんどん上に上がる勢いです。ちょっと焦る!

糸を握る手が引っ張られます。途中ますます風が強くなってきて、飛んでいったら怖いのであんまり高くはあげませんでした。糸さえ伸ばせば本当に雲の上まであがりそうでした。下ろすのが大変で、ゆっくり糸を巻きながら地上へと下ろします。

前回の時は雲ひとつない快晴、加えてほぼ無風でしたが、今回は荒れ模様です。風が冷たかったです。時間も4時半と夕暮れ時。夕日を浴びて雲が金色に光っていました。

さてこの「ゲイラカイト」、まずまずの結果でした。凧づくりのレパートリーに加えることにします。なんだか、凧づくりの人みたいになってきました。もちろん帰ったら絵を描きますよ。このゲイラカイトに。あ、でもそれより、次は「六角凧」を作ろうとしていたんだった。

近頃は、絵よりも凧づくりを優先させてしまっている。手段と目的が入れ替わってないだろうか。。。。しかし、絵を空に上げるために始めた凧づくりですが、まず凧が飛ばないことには絵も描けません。それに、凧の世界は奥深いのです。凧づくりだってそんなに片手間にできることではないのです。実際に作った凧を空に上げてみないとうまく飛ぶかどうかはわからない、そこが楽しいところです。もちろん誰かの設計図がありますから、だいたいその通りに作れば上がるのは上がります。そんなに難しい作業でもない。しかし少しでもその先に行こうと思ったらもう大変です。素材は?寸法は?組み方のテクニックなど無数にあり、きりがない。とりあえず、いま僕はいろんなタイプの凧をつくってみることにしています。

ものをつくることは回り道だらけだとつくづく思います。絵を描くのだって似たようなものです。まず、何かを描くときには、実際に描くことの前にやることがいっぱいある。何に描くのか、どんなサイズ?画材は?絵の具の量は?色は?いつ、どこで描く?どんな風に描ける?頭の中では絵の姿が完璧に決まっていても、現実的にはやることが多すぎるのです。様々な抵抗があるのです。

僕はいつもそこに悩まされています。悩むのはそんなに嫌ではないけども。いっつも、めんどくさいなあ、と思いながら考えています。何を考えているのかというと、頭の中で思い描いている「絵」の姿を生っぽく一番ストレートに見せる最も速いベストなやり方をです。だから本当のところは、絵の具なんて触りたくもないのです。技術的、職人的なことは少しだってやりたくない。職人や先生のようになるのはご免です。そうではなく、もっと「作品」になる前の段階、一番最初の部分だけを取り出したい。しかし、現実的には、さっき言ったように何かをつくるときには様々な抵抗があり、乗り越えたり一旦保留するにしても一個一個を考えずにはいられない、という問題がある。実に不自由な現実です。ですから、完全に自由な創作物というのは、本当は完璧な技術、技法を持つものからしか生まれ得ないのかもしれない。しかしそんな超人って存在できるのでしょうか。この街で生きているひとりの人間がそんな超越者になれるとしたら。SFのようなお話です。

帰り道、京都駅の地下道に平和を願う子ども達の絵が飾られていました。面白いやり方の絵がありましたのでひとつ。版画です。恐らく厚紙かなにかを切って貼って自分の顔を作り、そこに絵の具を塗って別の台紙に押し付けているのだと思います。魚拓みたいです。非常に面白いやり方です。まったく描かずに、絵の具や筆の技法に縛られることなく、思い通りそのままの絵が出来上がっています。たつまくん(5歳児)の作品です。

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