絵で飾る、飾られた絵

絵を風にのせて空へとばそう!
http://www.ubeful.com/sorae/
工作室となったギャラリーの様子です。

2015年12月19日・20日


実はこんなに絵がありました。水井さんの絵もありました。これらの絵は以前に鴨川で展示したものです。詳細は↓
鴨川での展覧会、絵が風で飛んだ日

この新作の絵たちから、凧あげ会は始まりました。絵を太陽の下に持って行く、街の真ん中に、外で展示したい、けれど風で絵が飛んでしまう、あぶない、どうしよう、凧なら飛んでも大丈夫じゃないか、絵を風にのせて空に飛ばしてしまおう!という流れでした。絵を空に解放するということです。そしてその気持ちよさをみんなで共有してみたかった。それが今回の凧あげ会に繋がりました。

新作の絵は全部で17点。0号から100号までのキャンバスに好きな色を塗って、全部同時に描いています。ただの絵だからタイトルはあってもなくてもいいけど、一応それぞれの色がタイトルになっています。キャンバスだから、飾って美しくなるように描いています。だからそれぞれの色とサイズに合わせて、当然、絵が変わります。絵は描かれるまで頭の中にある時は見ることができません。ちょうど風そのものを見ることができないのと似ています。風を感じるには外に出たり、凧を飛ばします。絵を見るためには絵の具や紙が必要です。絵が現れる時、例えばキャンバスに現れる時や、その時々の状況によって絵の姿は違ってきます。絵は風のように見えないが絶えず動いていて様々な場所に一瞬、姿を現わすだけです。だから絵はいくらでも、本当に自由に描くことができます。そして全ての絵は違う姿だけど同じように絵でしかありません。

凧あげについても、僕がそもそもいつも思っているのは絵はもっともっと自由で力強い存在だということです。絵はもっと解き放たれるべきです。というより、最初から解放されています。絵は単純明快に、ただの絵です。僕が今回凧づくりの会場に絵を持ってきたのは、その方が雰囲気が楽しくなるからです。色がきれい、線が楽しい、何だかワクワクする、それだけで充分すぎる意味があります。絵がある空間というのはないよりもいい。素敵になる。いつも通る地下鉄の通路は無機質なタイル貼りで、寒々しい。そこに絵があったらどんなにいいか、と考えたりします。だから僕はきれいな絵しか描こうと思っていません。美しくなるように願いながら筆を持っています。

そんなものだから、僕は絵を持って行って飾っていたけれど、別に目を凝らして見られなくてもいいんです。飾られた絵は間違いなく自分の作品だけども、僕の作品であることは別に大事ではない。見た目が大事なんです。つまりただ絵であることが大事です。僕は絵のことを全面的に信頼しています。どこに持って行っても絵の姿は変わらないのです。

凧づくりの時は絵で彩られた工作室であり、凧あげで誰もいなくなった部屋は絵の展覧会場へ変わりました。空間や人は変わるけれど、絵そのものは変わらない。絵はただ絵として飾られているだけです。会場には絵が描かれた凧も飾られていました。凧に乗っていようが、キャンバスに乗っていようが、絵は絵です。絵はいつも見えないどこかにある。僕がやってるのはその見えない絵を引っ張って来てどこかに下ろしてあげる、見えるようにただの絵にすることです。だから描かれる場所はどこでも、絵は絵です。

凧は風で揺れるので可愛いですよ。空に飛ばしてもいいけれど、部屋に吊って飾るのもいい。せっかくだから作ってもらった凧は絵として飾ってあげてほしいですね。凧を家に飾るなんておしゃれだと思います。

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