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過去作品解説 part.4

今日描いた絵です。最近夜ラジオでクラシックばかり聴いています。さてセルフ解説の第4回。大学最後の夏休みに実家の淡路島で個展を開催させて頂きました。

タイトルは「いつまでも絶えることなく友達でいよう」。場所は洲本市民工房という市が運営するギャラリーです。実は大学入ってから毎年夏休みにグループ展でお世話になっていました。子ども達にワークショップをさせてもらったこともありました。(マイ絵の具をつくろう!とピンホールカメラ。)市民工房さまには大学生活最後の年に、個展という大きな機会を頂きまして本当に感謝しております。ただの学生だった未熟な自分を支えてくださって、応援してくださり、ありがとうございました。また、展覧会にお越し下さった方々へ、ありがとうございました!

展覧会ステイトメント▶http://kaburagikiyokata.web.fc2.com/itsutomo.html

展覧会の写真レポートはこちら▶http://kaburagikiyokata.blog59.fc2.com/blog-category-4.html

大・回顧展です。というのも、小学生の頃〜美大最後までの絵をほぼすべて飾りました。メインギャラリーでは公開制作、その奥の小部屋は習作の部屋とし、幼少の頃に絵画教室で描いた絵、書道〜中高美術部のイルカの写真模写、友人を描いた油絵〜大量の当時のスケッチブック〜美大受験のデッサン〜大学時代のドローイング等、で埋め尽くされています。で、今までのキャンバス画はほぼ全部ギャラリー外の廊下の壁に新しい順にずらっと列んでいて、奥に進むほど古くなる、最後の絵は解説part.1でお見せしたペラ紙アクリル額装作品になります。

キャンバス画が列ぶ廊下は狭く、作品を眺める場所には適しません。あえて作品は部屋から追い出しました。何せ島なので、外部の美術好きはやってきません。はじめに家族や、親戚、友人、お世話になった方々、島の人たち、が見に来てくれます。ギャラリーに入ると、まず初めに公開制作の現場、メインの部屋に来られます。そこで僕はご挨拶する。知ってる人に出会うことも多かったです。しかし、見ると僕はまったくわけのわからない絵を描いている。。。。僕のことは知っているけど僕の描いている絵のことはまったくわからないわけです。で、奥の部屋に行ってもらう。すると、そこには知っている僕の絵があるわけです。ああ、やっぱりこの人のことを知っている。と、なるわけです。たとえ僕を知らない人でも、奥の習作部屋に行けばわかりやすい「絵」があって、安心感を覚えるはずです。デッサンなんかを見て、うまいねえ、と初めて声をかけてもらえたり。そこでこんな会話が生まれたりしました。「小さい時から絵が好きだったのね。」「私の子どもの絵も残さなきゃいかんな。」みなさん、奥の部屋でいろんなお話をしてくださいました。そしてその後廊下のキャンバス画に進んでもらう訳ですが、僕の絵はいったい来られた方々にどんな風に見えていたでしょう。

この展覧会は、この街のひとりの人間が「絵」というものを描き続けていることを示し、いわば僕の人生(と、いってもまだ20年ほどですが。)そのものを展示したのです。飾られているのは僕の絵ですが、その向こうにあるのは僕だけの絵ではなく、僕はこんなふうに絵を描いて来ました、じゃあ、見る人にとって「絵」はこれまでどういうあり方をしていたか、小学校の頃どんな絵を描いていたか、中学生の頃は?そして、今はどんな風か。つまり、「絵を描くこと」そのものに見る人それぞれが思いを馳せる空間にしたかった。もっと願望を言ってしまえば、絵を描くことだけじゃなく、「生きている」ことそのものを見せたかった。おこがましいかもしれませんが、それで誰かの気が晴れたり、明日雨でも頑張ろう、とか思ってくれたら、僕も生きてて良かった、と思えるじゃないですか。もしそんな奇跡が起こったらこれ以上ない芸術だと僕は思います。

公開制作はこの二点でした。公開制作は10日間の会期中常にユーストリームで配信されていました。見られた方いらっしゃるんでしょうか。。。。。この絵は「海と山」です。上が山で、下が海。ほぼ同時に描いています。ゆったり、それでも絵画の構図と戦いながら、やっぱりゆったり、描きました。この場所でないと絶対描けない絵です。市民ギャラリーは旧紡績工場跡を改装した、赤レンガ作りの淡路島一オシャレな建物なんです。隣は公園や図書館、すぐ近くには山があり、海があります。窓から見える青い空には時々トンビが旋回しています。そういう大変美しい場所で、この展覧会は行われました。  

ところで「いつまでも絶えることなく友達でいよう」というタイトル。これは別れの曲なんです。僕はこの展覧会のあと、「絵画」をやらなくなりました。キャンバス画、その他諸々の「アート」「美術」、そんなものから心が離れてしまいます。「絵」を捨てたわけでは決してありません。が、作品らしい作品をつくらなくなります。

ではその後の大学での制作は、卒業制作はいったいどうしたのか。こんなものをやりました。動画でご覧下さい。

「絵画」をやりませんでした。三つの物体が置かれています。大量のデッサンを積んだもの。キャンバス画の形をしたスピーカー、そこから僕のお気に入りプレイリストが延々流れている。一円玉の回転数をカウントし続けるチープな工作。今見ても、まったく意味がわかりません。完全に「伝える」ことを放棄しています。いったい、何が起こったのでしょうか。

つづく・・・・・・

次で過去作解説は最後にしたいと思います!

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