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過去作品解説 part.1

昼間から聴くラヴェル「夜のガスパール」は最高です。今回は過去の話をします。ご紹介したい過去の作品について当時の心境交えつつ説明していきたいと思います。僕は展覧会ごとに作品を作っていますので、展覧会に添って最初から順にお話しします。

まず最初が大学2年の年度末作品展です。ペラペラの紙にインクペンやクレヨンで描いています。よく見ると紙は分割され、重ねられ紙テープで貼られています。また部分的に図像を描いた紙が貼られています。それがアクリル板で大事に額装されています。紙のしわが目立ちますね。

このときの主要なテーマは絵の構図です。僕は兵庫県淡路島の田舎町から大観光地・京都の隅っこにある美大の油絵科に進学しました。最初の一年間は、様々な基礎的課題を行い、二年目から各専門の先生がいるゼミへと進みます。ゼミでは、各自が自分の「作品」をつくらなければならなくなります。ここからが大変です。僕のやり方は、とにかく手軽な紙に手で描きました。絵の具をやったりもしましたが紙に手で描く方が興味深く、結局それをそのまま拡大して出品しました。前にもお話ししましたがこの時の紙のドローイングの目的はレイヤーの現れ方の検証でした。その集約であるこの作品には僕の絵画の構図法についての基本的なアイディアが表現されています。

大学に入って初めて自分の「作品」というものをつくって発表したわけですが、もっともっと過去の話をすると、僕にとっての最初の絵はいつになるのか。最初から僕は絵が好きでした。小学校の頃は絵画教室に楽しく通っていて、自分のスケッチブックを持っていました。そこに描いていたのは主にキャラクターの絵。最初は既存の漫画のキャラを描いていましたが、だんだん自分で考えたキャラばかり描くように。それを絵画教室の先生に無理矢理見せたりしていました。中学に入り絵画教室は卒業しましたが、今度は美術部です。中高の6年間、絵と向き合いました。その時は一応部活なので、顧問の先生から課題を貰い、静物や人物、写真模写、水彩、油絵と繰り返しただ描いていました。それはそれで楽しく、レッスン、ゲーム感覚です。で、それとは別個に自宅でのスケッチ、ドローイングは依然として続けられました。ただ絵画教室の頃と違うのは、見せられない絵が多すぎると言うことです。今までの絵はどんなものでも可能な限りすべて保存してあります。発表できるかどうかは置いておいて、絵というのものは皆そうだろうと思いますが、思い出せないくらい昔から描いているものです。絵を描いたことのない人などいません。その意味では、皆「作品」を最初から作り続けています。

話が逸れましたが、この作品は自分では結構満足していました。ですが、ある先生に「7点」の赤点以下を付けられてしまいます。100点満点中7点です。僕が想定している以上に、もっともっと絵画というものは情熱的で可能性に満ちていたのです。まあしかし点があるだけよかったです。それからというもの、僕は自分の満足のためではなく、人に「すごい」と言われるため、大きく言えば誰かを感動させるために絵を描かなくては、と思うようになりました。感動と言うとほんと大げさで嫌な感じですが、0か100か、ウルトラCを狙う、という感じです。

で、その次は3年の前期展あたりで区切りが出来ます。この頃からやっとキャンバスと絵の具です。ただ、その使用は紙のドローイングの可能性の延長としてありました。

発見も多く、面白いように絵がポンポン出来ました。絵の具を使えばこんな風にレイヤーが増やせるのか、じゃあ、こんな風に描いたらもっと面白くなるだろう。こんな感じ。すべてが新たな実験であり、スリリングな戯れです。ただ終盤きつくなります。終わりの前期展の時に発表したのが前にお話しした「シューティングスター」という作品です。これがその時期の最後の作品になりました。

かなり可愛らしい雰囲気です。顔文字等を描いています。これは合評でもウケがよかったです。(美大には合評といって、内輪のミニ発表会みたいなものがあり、そこで先生方から指導を受けられます。)ただ僕はあまのじゃくなので、褒められると次はまったく違うことがやりたくなります。ですからこのあと、僕は完全にやる気を失ってしまいます。ネガティブな意味ではなく、このまま遊んでいてもしょうがないという気持ちになったのです。つまり、絵としての構図の新鮮さのことだけを考えていてはこの先描いてはいけないだろうと、自分の作品の将来について初めて考え出したのです。冷静に見て、こんな絵を描き続けることは無理です。なぜかって僕はこんな可愛らしい子どものような人間ではないからです。単純な理由です。可愛いものは好きですが……。僕は幽遊白書とかが好きなんです。幽白の蔵馬に憧れていたような僕が、こんなサンリオみたいな絵をわざわざ描かなくてもよいだろう、描いてもしょうがない。(サンリオが嫌いな訳ではありません。バツ丸なら好きです。)

つまり、この頃の作品はただ新鮮な構図を作るための手っ取り早いコマとして、一見可愛らしくも見える、その辺に転がっているような既存のイメージが機械的に選択され描かれていただけで、本当に心からそんなものが描きたかったわけではなかったのです。このような絵はいくらでも生産することが出来ます。じゃあ、これから、僕はいったい何を描くのか。要するに自分自身のルーツについてです。つまり何が好きか。何を愛しているか。そんなことについて向き合う段階に来ていました。  

つづく

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