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芸術の秋

先日、西太志さんの個展を資生堂ギャラリーで見てきました。

同じ日、ピーター・ドイグさんの展示を東京国立近代美術館で見ました。

どちらも絵画で、大画面に人物のいる風景を描いています。(かなり大雑把に言うと。。)同じ日に見たせいか、どうしても、なんとなく、つながりを感じてしまいました。ドイグさんは90年代〜ゼロ年代の絵。西さんは10年代〜2020現在の絵。およそ20年の隔たりがあるんですね。

まずドイグさんの絵。2〜3メートルくらいの大画面の風景に、人間がポツンといる。少し不気味で不穏な気配が漂う風景。しかし風景と言ってもほとんど初見は色彩のみで、よくよく見れば判別できる感じかな。生のキャンバスに染み込んだ色彩の広がりは、フォルムが溶け出し輪郭がはっきりしない。ムンクを連想。幽霊みたいで掴めない。また、間違えて描かれたような彩度の高すぎる色のドット、平塗りは、ピントをキャンバスの上に引き戻し、塗料としての色彩を見せる。それは時にマチエールを強めてさらに前へとせり出すが、視線を引けば人物がフックとなり再度風景が広がる仕組み。見とれるほどに美しい絵画。展示後半は人物がクローズアップされたり、硬いグリッドが現れたり、ユニークさを追求している。

西さんは、京芸の先輩なのだけど、ドローイングの想像力を絵画や陶器の立体に展開している作家。今回の個展では大画面の連作がズラリと壁一面に並んでいました。絵はモノクロームで、風景の中にマスクを被った人物が見える、何か怖い感じのする謎がある絵。風景は、ゆらゆら燃える黒い煙のようで、目を凝らすと荒い線描で描かれたモチーフがぞわぞわ見えてくる。素材に目を向けると、黒い影の部分は生のキャンバスに擦り付けるように油彩?が施され、線描の方は木炭のようで、触ったら黒い粉がつきそうなほど新鮮。さらにその上をキラキラと光る金色のペーストが乗っていて、火の粉のようにこちら側に飛んでくる。素材や色彩はこんなに制限されているのに、絵の中に一気に没入してしまう。線描そのものが何かの奇跡のように画面を飛び回っているアブストラクトな絵も混ざっている。こちらはドローイングガムを使って線描をはがし取ったものだと思う。本来モチーフを描く線の役目が空白になって、魂を抜かれた線のフォルムが幽霊のように浮遊する。

ドイグは、色彩が揺らめき、飛び出し、見る者を惑わす絵画。
時にそれは風景になり、物語を生み、あるいはマチエールになり、カラーフィールドが広がる、変幻自在。

一方、西さんは絵画の色彩をはがし取って、骨や抜け殻を見せている。
ドローイングの強い線が骨で、痕跡のような影や金彩が抜け殻、生のキャンバスは横たわる地面で、分厚いパネルは墓のよう。
ある意味ボロボロの状態。
しかしそんな状態になってもなお、絵の中身=イリュージョンが存在することを見せている。


・・・・と、私は感じたのでした。(終)

ひっさびさに展覧会を見て、何か心が晴れました。
やはり絵はいいなと思いました。特にドイグ展で感じたのだけど、絵ってズルいなと少し思いました。絵ってだけでなんか良い。なんか良い感じがするんですね。絵の具って綺麗だし。綺麗な絵の具に包まれると、楽しい感じがします。だからズルいよな、と。近美はコレクションがめちゃくちゃ充実していて、特に戦争画のコレクションが見られるのがいつもスペシャルな経験なんですが、ドイグさんの後にああいう絵を見ると、言い方悪いけど全部吹っ飛びました。藤田の絵もあって、見入ったし、その後に続く人間の苦悩で歪んだ絵画群を経ての岡本太郎の爆発、靉嘔のレインボーアダムとイブを見た時なんか泣けてきました。

芸術の秋、まだまだ楽しむぞ!!



P.S.
photo by K

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