PLAY DEAD

弟の下宿部屋に飾られていた絵↓

White city ,THE END

PLAY DEAD

0合くらいの小さな作品です。弟が京都から東京に引っ越しました。この絵も持っていくようです。荷物を運び出した後のがらんどうの部屋に弟の友達が訪ねてきて、話をするとこの絵のことを知っていました。聞くと部屋に来た友人によく壁のこの絵について尋ねられたそうです。カオスラウンジ…?とか言われてたみたいです。懐かしい、けっこうお気に入りの作品です。

この頃はなかなか楽しくキャンバス作品を作れてたな。上のやつはシールを貼ったり押しピンを指してチェーンをかけてるし、下のはおもちゃのピストルを白く塗ってテープで固定してる。絵の具の扱いも違います。絵の具を色というより展色材として扱ってる。キャンバスに引っ付ける、のり、として使っている。左官みたいな?絵の具を塗ることで絵の層をキャンバスに固定しているわけ。キャンバスに物を貼り付けることもしたけど、必ず貼り付けた物の上には絵の具を乗せている。そうしないと異物のドッキングになってしまうから。ほんの少しでも絵の具が乗ることによって、ものが絵の層に沈み込んでくれる。それか、色や形で入り口を作る。

絵の具を観念的な色彩としてあんまり見ていない。キャンバスと同じように光を受けて反射する物体として見てる。だからこの頃はメディウム、展色材の種類に注意を払ってた。赤い色があったとして、それが油絵の具か水彩絵の具か、それとも人工物、赤いリボンだったり、逆にリンゴの皮とか自然のもの、色々種類があります。メディウムの違いで層が作れます。メディウムの層と色彩の層があったとして、それを往還させるのです。たとえば白い色しか使わなくてもメディウムの違いだけで絵が作れるでしょう。白いものを集めるのです。それか、ものを集めて白い絵の具で塗ってもいい。その場合はメディウムの差ではなく支持体の差ですが。あとは、塗り方。イメージ。色んな使い方があります。素材を集めて色々使って、絵を工作するんです。

こう考えると絵を描くのってほんとに工作と同じです。絵の具の面白いところはそれ自体が絵だということです。と同時にメディウムでもあるし、塗料という素材で、光を反射する物質です。この小作品を作ってた頃は、そんな風に工作的に描いてました。キャンバス画というのは工作的なものです。これは絵ではなく、コラージュなんです。キャンバスという土台にものをくっ付ける。ものをくっつけるのだけど、くっつけていると悟られてはいけません。キャンバスの画面の真上に浮かんでいなければならない。絵の具だってものです。たとえ絵の具だけを使って描いたとしてもキャンバスに描くのであればコラージュです。もの、が混ざり合った、もの、なのです。それがフレームされて壁にくっついている。現実の光が当たる部屋から隔絶された平面ではない。これって避けられない宿命です。

デュシャン以来、つくられるものはレディメイドだけである、たとえ自分で描いたとしても。。。。

ものがものにくっついてるのが絵、キャンバスの上で。それなら最初から人工的に、工作的に絵を作る。キャンバス画を作る。この小作品の頃はそうだったけど、今はできるだけそうならないように、気を付けている。つまり絵の具が色や形そのものに見えるように、いや、絵の具自体はただの塗料、ものなんだけど、ものの姿を見ないようにする。積極的に目を背ける、考えない。メディウムの違いを無視する。油絵の具か水彩絵の具かなんてどうでもいい、ということにする。キャプションの「素材」欄に何も描かない。タイトルだけあったらいい。それどころか、色や形、そんなことも考えない。。作らない。何にも人工しない。工作しない。。。。

この文章は頭の中のメモです。こんなことばっかり考えています。終わりはないです。

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