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お父さんと私

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お父さんの病気と死とそれを乗り越える過程の記録。 大好きなお父さんに見つかった病気、逃れられない死。荒波のように揺れ動き、そして静かに穏やかになっていった私の気持ちや起きたことを…
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#エッセイ

お父さんと私① がんが見つかった日

父にステージ4のがんが見つかり、余命宣告を受けた1年半後、この世を去りました。父が病気になって、私の心は大きく揺さぶられました。その時のこと、父を失って悲しみの中にいた時期から、乗り越えた今までを少しずつお伝えします。(最終的にハッピーエンドです!) 大切な人の病気や死を経験してみて、一番お伝えしたいのは、荒波のように不安や悲しみにのまれた時期から、だんだんと受容、感謝の次期へと移行して、また自分自信に戻ってくるということ、それらの感情はあるべき時に起きている、ということで

お父さんと私② がんとか手術とか血栓とか

大腸の機能を回復するために、父は人工肛門の手術を受けた。本人としては、毎日五分がゆばかりだったので、人工肛門をつけて早く普通の食事がしたいそうだ。 しかし、そう簡単に進まなかった。人工肛門の手術を終えた後、父はがんセンターに入院することになった。がんが大きすぎて摘出手術はできないため、抗がん剤治療でがんを小さくするという治療方針に至った。 父は少し、元気になっていた。私はがんセンターの感じが嫌いではなかった。普通の病院よりも、明るくて、自然があったし、私には柔らかい雰囲気

お父さんと私③ 病気と仕事と休職と 大切なものは何だろう

抗がん剤治療が安定し、入院から通院に変わると、父は半年近く休んでいた(とは言っても職場に通勤しなかっただけで毎日原稿を書いていたが)職場に戻ることになった。 私としては、もっと休養してほしかった。家でできるのであれば、毎日出勤せず、家で働けば良いのに、どうしてお父さんは自分の身体を大切にしないのだろう、と怒りにも近い感情が芽生えていた。 だいたい、働かせかたもおかしい。60歳の人を、北海道やら長崎やら、月に何回も出張に行かせるなんて。付き人がいるわけでもないから、手配も全

お父さんと私④ こどもの結婚ほど切な嬉しいことはないのかな

夏頃の検査結果で、がんが小さくなっていることがわかり、父本人にも、家族にも安堵感が広がった。腫瘍マーカーの数値もだいぶ減った。 父は体調を崩す前まで、「和楽器バンド」をよく聞いていた。和と洋の融合した、新しい音楽に魅了されていた。毎日のように大音量でかかっていたこともある。退院してきてから、それがパタリと途絶えてしまっていたが、このころまた和楽器バンドを聞いて仕事している。その様子を見て私は少しほっとしたのを覚えている。 相変わらず抗がん剤治療の副作用はひどいので、何を食

お父さんと私⑤ 終末医療へ

父の病気が見つかってちょうど1年経つころ、がんが肺に転移していることがわかった。私も母もショックだったとは思うが、一番ショックだったのは、父本人だろう。この日は言葉がとても少なかった。 そんな状態だというのに、(そんな状態だからだろうか)、明日までに書き上げたあい原稿がある、と言って夜遅くまで仕事をしている日があった。身体のことがとても心配だったが、母も私も止められなかった。母は、「お父さんから仕事は奪えないよ。」と言っていた。父にとって仕事は生きがいだった。本当は、止めた